中国の歴史

面白人物ばかりな中国の歴代皇帝7選をご紹介&解説

3.恵帝【中国版マリーアントワネット】

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次に紹介するのは西晋の二代皇帝である恵帝です。この人は光武帝や始皇帝とは違い単なるお笑い要員。しかし、このお笑い要員がとんでもない事態を招いてしまうことになるのです。

お世辞にも皇帝レベルとはいえない能力

恵帝が生まれたのは259年。父は三国時代を統一した司馬炎なんですが、この人がまぁ政治が全然できない。そもそも恵帝が皇帝につけるようになったのも恵帝の母である賈夫人という人が代筆を使ってなんとかしたということもあり、なかなかやばい奴だったことが伺えます。

そんな彼のやばいエピソードとしてこの当時中国は飢餓に悩まされていたそうで家臣がその対応をして欲しいという形で皇帝に依頼を出したそうです。そんな中恵帝は「米が食えないのであれば肉を食べればいいじゃないか。ばかじゃないの?」という言葉を残したそう。マリーアントワネットのあの「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」は後世の創作だったという説が有力なんですが、この人の場合はマジでそう言ったそう。

八王の乱を引き起こす

こんなダメダメな皇帝に政治を任せられるはずがありません。呆れた司馬一族たちは一斉に反乱を起こし、いわゆる八王の乱が勃発してしまいます。この乱によって晋は一気に弱体化。かつて北方に追いやられた騎馬民族たちが一気に南下する理由となり、のちに北魏などの国たちが興起して群雄割拠した分裂の時代である五胡十六国時代へとつながっていくことになるのでした。

4.煬帝【失政ばかりで崩壊した皇帝】

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次に紹介する皇帝は煬帝。この人は聖徳太子に遣隋使を送った時の中国の皇帝として知られていますが、この人は煬帝(ようだい)といってこれまでの呼び名とは少し違う形となっていました。実はその裏には煬帝がやってしまった失政があったのです。

土木工事が大好きな皇帝

煬帝の悪業と言っていいのか功績と言っていいのかわからない行為の一つに大運河の建設があります。実は大運河の建設は秦の時代からあったプロジェクトなんですが、これを完成させたのが煬帝だったのです。

煬帝はとにかく大運河の建設をなんとしてでも成し遂げるために大量の人員を動員させて運河を無理矢理作らさせます。この時点でだいぶ民衆の負担となっていったのですが、なんとかこの大運河を完成させてました。

ちなみに、この大運河の建設によってこれまで南部と北部で分断されていた中国の商業地域が統合される結果となり、のちに大運河近郊は発展するのですが、これが活かされてくるのはなんと悲しいことに隋が滅んでからでした。

高句麗征伐の大失敗

煬帝が失政したことは大運河の建設の他にも高句麗征伐に失敗したことにありました。当時朝鮮半島北部を支配していた高句麗ですが、この高句麗を倒すことは隋や隋以前の王朝の悲願でもあり、煬帝からしてみたらこの滅亡によって民衆の信頼は回復されると見込んでいたそうです。

しかし、この高句麗征伐は大失敗に終わり、大量の死傷者を出しながら得られたものは何もないというなんとも無様な結果に終わってしまいました。

その結果大運河建設の頃から溜まりに溜まっていた民衆の怒りがついに大爆発。最後には衛兵によって暗殺されてしまい、隋は滅亡してしまったのでした。

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