2-3.現代に通じる政治ワードとは
モンテスキューが「法の精神」の中で説いた特に重要な政治ワードは以下のものでした。
【政体】は立憲君主制や議会民主主義といった政治体制のこと。
【政治的自由】とは、個人もしくは集団が政治主張する際に、いかなる拘束や差別をも受けないこと。
【統治権力の分立】は、司法・立法・行政が独自に成り立ち、互いに監視し合うこと。
モンテスキューの著書その2「法の精神」
1748年にスイスのジュネーブで出版されました。政体・習俗・気候・宗教・商業など、各国によってそれぞれ違いはあるのだから、その国に合った政治体制を構築することが重要だと説きました。
また、司法・立法・行政という三権をそれぞれ独立させ、互いに監視し合うことで政治的自由を守ることが望ましいとしています。いわゆる三権分立のことですね。
とはいえ匿名で出版されたものの、すぐに「あれはモンテスキューが書いたものに違いない」と看破されたそうです。彼独自の政治思想は当時から知られていたわけですね。
3.モンテスキューが提唱した~立憲論~
それでは、「法の精神」の具体的な内容に踏み込んでいきましょう。モンテスキューがいったい何を論じているのか?わかりやすく解説していきます。まずは3つの政治システムを論じた【立憲論】です。
3-1支配者が思うままに政治を行う【専制政】
立憲とは、文字通り「憲法に従って政治を行うこと」という意味になります。しかし【専制政】というものは、憲法があったとしても、まるで無きが如し。君主(国王や皇帝)に絶対的な権限が与えられており、何人たりとも逆らえない政治システムのことです。
わかりやすくいうと君主は神であり、その言動や行動も「神の言葉」「神の代理人」として受け止められ、臣下の者や国民は逆らうことができませんでした。王権神授説とも呼びますが、古くはローマ帝政、そしてモンテスキューが生きていたフランスにおける絶対王政制が非常に近いものでした。「朕は国家なり」これははルイ14世の言葉として有名ですね。
そういった政治システムの中では、個人の【政治的自由】は皆無であり、支配者は恐怖政治によって人民を支配するということになります。
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3-2君主は存在するものの議会がある【立憲君主制】
君主(いわゆる国王)が存在していれば、それは広い意味での君主制となるのですが、「法の精神」で述べられている君主制とは、君主を拘束しうる中間勢力(貴族、教会、議会、憲法など)が存在しているということが定義づけられています。
例えばイギリスの「マグナ=カルタ」のように、憲章や憲法によって王権が制限されるということも意味は同じで、モンテスキューはイギリスの立憲王政を3年間見てきたうえで、「国王は君臨すれども統治はせず」という政治システムを【立憲君主制】と呼んだのです。
イギリスを例にとれば、国王の権限は制限されていますが、その代わり「立法の承認」や「首相の任命権」があるなど、君主の名誉を重んじた政治体制だということがいえるでしょう。戦前までの日本なども同様ですね。
立憲君主制の中での政治的自由は、ある程度なら認められているということになります。
3-3人民による人民のための政治【共和政】
【共和政】とは、国民から権力を委任されている政治システムのことで、「権力の根源」は国民との契約関係にあるという考え方ですね。君主の代わりに元首が存在し、それは世襲制ではなく国民の中から選挙で選ばれた存在であるということ。
しかし共和制といっても、一概に民主的というわけではなく、狭い意味で【民主主義的共和政】と【貴族的共和政】が存在しています。「法の精神」においては、貴族的共和政の場合、国民の政治的自由や諸権利は束縛される傾向にあるとされており、逆に民主主義的共和政の場合は、それが逆になるとされていますね。
【共和政】はどちらかといえば、私利よりも公共性に重点が置かれた政治システムで、徳(社会性や道徳性)をもって行動の動機付けをするわけです。現在、国名が〇〇共和国となっている国々は、すべて共和政となっています。
「民主主義的共和政」と「貴族的共和政」
「民主主義的共和政」とは、国民の中から選挙で選出された議員が議会を運営し、立法・行政に携わることです。まさに現在の日本の政治システムと同じということになりますね。
「貴族共和政」とは、国民の中から選ばれた議員もいる代わりに、旧態的な権益を持つ貴族議員も存在しており、やや前時代的な色合いが濃いものです。これは戦前の日本の帝国議会にちょうど当てはまります。日本にもかつて衆議院と貴族院がありました。
4.モンテスキューが提唱した~三権分立~
【三権分立】とは、日本の政治の根幹をなすシステムのことですよね。これは中学生の授業でも習う言葉でもあります。モンテスキューが初めて「法の精神」の中で、三権分立について具体的に定義づけることになりました。