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古代ギリシャ都市国家「スパルタ」の最強戦士育成方法とは?

荒ぶる300の兵!テルモピュライの戦い

紀元前5世紀頃、スパルタはアテネと共に他のポリスの軍勢を率いて、オリエント一帯で絶大な力を持っていた大国・アケメネス朝ペルシア帝国との戦争に挑みます。いわゆるペルシア戦争です。

ペルシア帝国といえば、当時のオリエント一帯を牛耳る強大国。兵力で見ればその差は歴然です。しかしスパルタは少人数の精鋭部隊で大軍を撹乱。兵力については記録によって差があるようですが、スパルタはわずか300人の重装歩兵で100万を超えるペルシア大軍に立ち向かい、スパルタ軍の名を世に知らしめました。2007年に公開された映画『300(スリーハンドレッド)』は、ペルシア戦争の中でも特に有名な「テルモピュライの戦い」をモチーフにしたものです。

この後、ギリシアのポリスはペルシア帝国軍の再来に警戒を強めます。大国が再び攻めてきたときの備えとして、デロス同盟を結成。アテネが盟主となります。アテネが覇権を握ったことで、スパルタとアテネの関係は悪化。二つの巨大ポリスの間に大きな溝ができることになったのです。

軍事社会:スパルタはなぜ最強の軍事国家となったのか

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武力で周囲を制圧し、奴隷を支配し続けたスパルタ。ペルシア帝国相手にひるむことなく立ち向かうことができた、その強さの源とは?そこにこそ「スパルタ教育」の由来ともいえる教育法がありました。スパルタの内政と古代ギリシャのその後について見てみることにしましょう。

市民はすべて兵士・スパルタの軍事教育

スパルタの基本はやはり軍事力です。スパルタに生まれたなら強くならなければならない。スパルタ人の男子は7歳になると親元を離れ、軍事訓練を受けることになっていました。

贅沢をせず、わずかな食べ物だけを与えられ、生き抜くための様々な技術や精神力を培う。生きるためなら略奪や殺人もいとわない。それがスパルタの教えだったと言われています。

成人すると軍人として軍隊に入り、60歳まで兵役。厳しい訓練の日々を送っていました。

伝承では、生活の全てを軍隊に捧げなければならず、のんびりとした散歩などもってのほか。食欲も金儲けも不徳と見なされ処罰の対象となっていました。肌が白いのも肥満も鍛錬を怠った証拠とされ、常に日焼けした肌と引き締まった躯体を保持。市民ひとりひとりが強靭な肉体と強い精神力を持っていたからこそ、スパルタは軍事都市として大成したのでしょう。

この背景には、スパルタ市民の10倍以上いたとされる奴隷の存在がありました。スパルタ市民は農業をはじめ、市民の生活に必要な労働を全て奴隷にやらせていたのです。生活のために働く必要がなく、戦いに専念することができたことも、スパルタの強さの要因と言えるでしょう。

スパルタでは男子だけでなく、女性も強かったと言われています。強い女性から強い男子が産まれると考えられており、女性も槍など武術を身につけていたのだそうです。

アテネとの対立!ペロポネソス戦争

いつかは決着をつけなければならない間柄だったのかもしれません。スパルタとアテネは、紀元前5世紀半ば、幾度となく衝突し、争いを続けていました。一度は休戦状態に落ち着きましたが長くは続かず、ギリシア全土を巻き込む大戦争へと発展してしまったのです。

スパルタはアテネに侵攻します。攻め落とそうとしますがアテネの守りは強固で、両軍まさに一進一退の攻防。短期間での決着とはならず、戦は30年近くも続いたと言われています。疫病が蔓延し、疲弊し続ける両軍。泥沼化するかと思われましたが、アテネ側の一瞬のスキをついて攻め込んだスパルタ側に軍配が上がりました。

スパルタはアテネを制圧しますが、その後の展開は決して良いものではなかったようです。アテネで恐怖政治とも言われる強引な体制をとりましたがうまくいかず、内政はきしみ始めます。その様子を見て、一時は力を失ったアテネが息を吹き返し、周囲のポリスと共にスパルタと戦争を開始。こんなことを繰り返しているうち、ギリシャ全体がどんどん疲弊し力を失ってしまうのです。

強すぎたのか?スパルタの衰退

いったんはギリシャの覇権を奪ったスパルタでしたが、紀元前4世紀初頭、アテネと同じく強い力を持つポリス・テーベ(テーバイ)と対立します。

それまで絶対的な戦力を誇っていたスパルタですが、度重なる戦争による疲弊や人口減少などから、百戦錬磨のはずのスパルタの重戦士隊の力はかなり弱まっていました。テーベ率いる同盟軍に比べ、スパルタの軍勢は数でこそ圧倒していましたが、勢いに乗るテーベ軍の前にあえなく敗北。ギリシャでの覇権を失います。

その頃、ギリシャは新しい勢力が誕生。北方にあった古代マケドニア国が勢力を伸ばし、スパルタ以外のポリスを全て制圧します。軍力が下降気味とはいえ、最強と呼ばれ恐れられていたスパルタ。マケドニアごときに屈するわけにいかないとプライドが先行したのかもしれません。マケドニアの傘下に入ることを拒んだスパルタは、その後も勢力を伸ばし続けるマケドニアの背後をついて挙兵しますが、鎮圧されてしまうのです。

かつての威厳はすっかり失われてしまったスパルタですが、その後も大成を立て直しつつ戦い続けます。しかし敗北が続き、紀元前2世紀半ばに、ギリシャ全土とともにローマに属することに。軍事国家としてのスパルタは消滅しましたが、スパルタの町はその後も何度か再建されて残ります。現在ではペロポネソス半島の南端部にあるスパルティという街で、スパルタの遺跡を見ることが可能です。

ディス・イズ・スパルタ!最強の都市国家は本当に強かった!

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とにかく強い!戦いあるのみ!古代スパルタの人々は、力こそが全てであると心の底から信じていたのでしょう。ただ厳しいだけでなく、兵士を訓練することで精鋭部隊を築き上げ、一時代を築いたのですから、その先にある未来が見えていたのだと感じました。強すぎて周囲から警戒されすぎて、大国から目をつけられて衰退してしまったスパルタ。ただ強いだけでなく緩急をつけることができたら、ギリシャの歴史は大きく変わっていたのかもしれません。

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