5分でわかる「資本主義」!現代社会を作り上げた資本主義の歴史をわかりやすく解説
初期の資本主義とその弊害
すなわち、初期の資本主義おいては、お金を持った資本家は、生産設備を作りました。そして、植民地からの農産物の輸入によって、農村を追われた多くの人たちを労働者として過酷な労働条件や低賃金で働かせることで大きな利益を得ていたのです。(マルクスの資本論ではこれを資本家の労働者からの搾取と呼びます。)しかし、それらの企業に雇われていた労働者層には、大きな利益を自分一人で得る経営者との格差は異常なものに映り、資本家に対する批判が高まっていったのです。
そのため、政治家となった資本家は、労働環境を整備するための工場法などの法律が施行され、また、チャーティスト運動(選挙権獲得運動)などに対して選挙権を与えるなどしました。批判に危機感を覚えた資本家たちは、労働者の不満を緩和する方向に向かったのです。その背景には、マルクスの著書の「資本論」などに刺激され、社会主義が台頭していたこともありました。その後、1848年にはフランスの二月革命などでは、社会主義者が政権に入る事態にもなります。そのため、欧州諸国では、労働者層である一般市民への自由主義を認める方向が明確になっていったのです。
資本主義への不満をかわす自由主義
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市民革命の行動に対して、自由主義を認めることで、資本主義への不満を緩和して、資本主義の拡大を図ったと言えます。資本家層が政治に干渉し、自分たちを守ったのです。また、19世紀後半になると、資本市場(株式市場)などが整備され、資本家は、投資家になり、企業家と呼ばれる経営者層が生まれ、企業の社会的な役割も認識され始めました。
その結果、欧米社会では、市民権を得た労働者層からも、経営者が生まれ、さらに中流層が多数生まれるようになり、新しい資本主義が誕生し始めたのです。
資本主義を発展させた自由主義_現代のレッセフェール民営化
新しい資本主義では、企業活動は次第に社会の中で制限される面も増え、同じ自由主義でも、資本の自由、すなわち株式市場などの資本市場に対する自由主義が重要になります。価格や事業分野に対する規制緩和によって、さまざまな事業分野への進出の自由化が求められるようになったのです。日本でも、郵便事業、電気・ガスなどのインフラ事業、鉄道事業などが高度経済成長の後に民営化が行われています。
現代では、規制の自由化、緩和が資本主義の拡大を支えるようになっているのです。
貧富の差の拡大が始まった_新たな格差
かつては、支配者層(教会、王権)と庶民の格差であったものが、資本主義の発展によって、今度は資本家と労働者の格差に変わりました。その格差は、さまざまな面で現代でも続いており、私たちの社会でも、格差問題が社会を歪めている面があるのです。いじめ、無差別殺人などの事件があとを断たなくなっています。
資本主義と共産主義の戦いの歴史
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資本主義の批判から生まれた社会主義や共産主義は、1917年にソ連で共産主義革命が起こり、共産党政権が生まれたことから、現実的なものとなりました。第二次世界大戦後には、西側の資本主義社会と、ソ連を中心とした東側の社会主義社会との対立が起こります。いわゆる、東西冷戦です。東側社会の社会主義が、資本主義に対して挑戦したと言えるのです。
ソ連の共産主義革命と冷戦の始まり
帝政ロシアの革命は、最初1905年に起こりましたが、その当時にはまだ貴族や資本家たちが政治の中枢にいました。しかし、その政権が従来と変わらない政策に終始したため、レーニンを中心としたボリシェヴィキ(共産主義者)と言われた共産党のメンバーは、1917年に2回の革命を起こします。ついに共産党国家ソビエト連邦を樹立させたのです。ソ連は、第二次世界大戦までは国内の体制固めに終われますが、戦争が終わると東ヨーロッパに次々と社会主義国家を樹立させました。計画経済が行われるようになったのです。
また、アジアでも、中国では共産党の毛沢東が共産国家中華人民共和国を樹立し、蒋介石の自由主義政権は台湾に追いやられました。北朝鮮や北ベトナムにおいても、共産主義国家が生まれたのです。その結果、共産主義が広がることに危機感を持ち、警戒した西側諸国との間に形態の違う社会体制同士の東西冷戦が起こりました。
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