何のために法典がつくられたのか
ハンムラビ法典は、ほとんど完全な形で碑文が残っています。そのため、王が何のためにこの法典をつくったのかという理由も知ることができるのです。
「強者が弱者を損なうことがないために、身寄りのない女児や寡婦に正義を回復するために、…国(民)の(ための)判決を与え、国(民)の(ための)決定を下すために、虐げられた者に正義を回復するために、私は私の貴重な言葉を私の碑に書き記し、(それらの言葉を)正しい王である私のレリーフの下に置いた」
そこには、孤児や寡婦など社会的に弱い立場にある人たちを、強い立場にある人たちの搾取や抑圧から守り、正義がふみにじられたら、それを回復することが目的だと記されています。ハンムラビ法典は、犯罪者を裁いて悪を滅ぼすことと同時に、虐げられた人の救済など、社会正義の確立と維持を目的につくられました。王たるものは社会的弱者を守らなければならない、そういった考えが3700年前にすでにあったことは、驚くべきことのように思いますが、当時としては、それほど珍しい考えではなかったようです。
神から任された王の役割
3700年前のメソポタミアの地域の王には、いくつかの重要な責務がありました。ひとつは、都市国家を守ること。都市の周りに壁を築いたり、攻められた時には軍隊を率いて戦いました。もうひとつは、豊かな収穫と不安のない生活を確保することです。豊穣をもたらす神々の神殿の建設や修復、また、農耕に欠かせない運河の開削も行いました。
これらの役割に加え、もうひとつ重要な責務がありました。メソポタミアの王は、神からの信託を受けて、その都市の支配を任されているという立場でした。そのため、神の役目を一部、王が引き受けたのです。それこそが、正義と秩序の維持でした。社会的弱者の保護と、虐げられた者に対する正義の回復が王の責任であり、これを具体的に表すためにつくられたもの、それが「ハンムラビ法典」でした。
歴史を現代に生かす大切さ
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世の中は、時が経てば経つほど進歩し、正しいことばかりになるのでしょうか。そうであってほしいですが、そううまくはいきません。社会が複雑になるほど、私たちは根本的なことを見落としてしまう…「ハンムラビ法典」を学ぶと、そんな気持ちになります。もちろん、手抜き工事をした大工が殺されてしまう世の中は、今の時代には合っていません。しかし、強盗にあった人の盗られたモノを市が弁償するシステムはどうでしょう。3700年前につくられた法典が、社会的弱者の救済や、虐げられた者の正義の回復を、国の統治者の責務だと考えていた、ここから私たちは様々なことを学べるはずです。現代の日本や世界はまだまだ多くの問題を抱えています。歴史を学べば、そうした問題を解決するためのヒントを見つけることができるかもしれません。