出雲神と天皇家との関わり
いずれにしても、日本書紀の神代の最大の謎は、天照大神の天孫族(天皇家)がどこから来たかという点と、古代にあった出雲大国との関わりにあると言えます。証拠はありませんが、大和はもともと出雲国の一部であったと考えられ、そこに天孫族であった倭族が移動して来たとも考えられるのです。そして、その後も、出雲族と天孫族の関わりは初期の天皇家に引き継がれています。
すなわち、歴代天皇のうち、第2代綏靖(すいぜい)天皇から第9代開化天皇までのエピソードが抜け落ちている点です。
日本書紀の欠史八代とはどのような謎なのか
日本書紀には、初期の天皇にエピソード(ものがたり)がないことから、実際にはいなかったのではないかという説(欠史八代)が近年まで有力でした。他の天皇については、それぞれにエピソードが織り込まれているのです。なぜ、エピソードが抜け落ちているのかについては、日本書紀が書かれた当時における天皇の正統性や有力豪族であった藤原氏の出自に関わっていたために削られたという説もあります。
エピソードがないから実在しないのか?
しかし、エピソードがないから実在しないというのは、明らかに乱暴と言わなくてはなりません。実在しない天皇を入れる理由がないからです。むしろ、意図的に隠され、削除されたと考えるほうが自然でしょう。
では、なぜ隠されたのでしょうか。大きな謎ですが、一つ考えられることは、やはり出雲族と天皇家との関わりにあると言えるのではないでしょうか。
九州の倭族と朝鮮半島の倭族、それに出雲族が大和の主を巡って争った?
神代においてあれほど大きな部分を占めていた出雲の話が、天孫降臨以降、表面的に出てこなくなります。それは、謎というよりも不自然なのです。
やはり、初代天皇の神武天皇が大和に入った後にも、出雲族と天孫族の勢力争いがあり、そこには天皇家の血筋に関わる謎が隠されていると考えられます。
エピソードは残されていませんが、この間の天皇家の家系は残されているのです。そこには、出雲だけでなく、出雲と関係の深かった吉備の国に関わる人物が何人も出ています。また、実在すると言われる第10代崇神天皇以降にも、多くの出雲系の名前が出てくるのです。崇神天皇の時代に疫病が流行った時には、出雲神である大物主神が祟っていると言われて、大物主の子孫を探させて、祀らせていました。
このように、初期の大和朝廷においては、大きな天孫族と出雲族の争いがあり、家系的に入れ替わっている可能性さえあると言えます。何とも謎だらけと言えるでしょう。
日本書紀は日本のふるさと
日本書紀は、日本の史書としては残っている最古の書物です。漢字で書かれており、読み下し文でも膨大なボリュームのある書物で、実際に読まれた方は少ないと言えます。そこで、神代の時代の謎を中心に解説しました。しかし、この日本という国がどのように生まれたのか、日本人として知っておく必要があるのではないでしょうか。最近では、現代史だけで周辺国との関係を論じがちですが、古い時代にも目をやって考えていく必要があるのではないかと思う今日この頃です。
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