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中国の歴史総ざらい!【各王朝の特徴と出来事を解説】

五代十国時代【再びぐちゃぐちゃになった帝国】

唐が滅んだ後中国では再び内乱状態に入っていきました。このことを中国北部を治めた五つの王朝と南側を治めた十の王朝が出来たことから五代十国時代と言います。この時代は各地の地方の長官であった節度使となった武将たちが王朝を作ったこともあり地方の商業や農業などが発達していた時代であり、皇帝を中心とした政治を行う皇帝独裁が行われた時代でもありました。

宋王朝【 文治主義をとり文化が発達した王朝】

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五代十国時代から起こり約60年が経った時に後周の武将であった趙匡胤という人が宋という国を建国して各地の王朝を打倒。唐以来の中国を統一した王朝が成立しました。

この宋の1番の特徴はやはり地方を治めていた節度使の力を亡き者にして皇帝による中央集権制を再び確立したことと、文治主義という官僚による政治体制が整えられたことにありました。ちなみに今中国で有名な産業の一つである陶磁器の生産は宋の時代に成立したもので、さらにお茶が飲み始められたのもこの頃だと言われています。

しかし、時代が経つにつれて宋も弱体化。1127年には北方民族が建てた王朝の金が宋に侵攻して滅亡。なんとか避難した宋の皇帝一族によって南宋が建てられましたが、これからしばらくの間中国では北方民族による王朝が席巻していくようになるのです。

元王朝【蒼き狼の子孫が作った大帝国】

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宋が滅んで南側に南宋が出来た頃。北側のモンゴル平原にある一人の偉人が生まれます。彼の名はチンギスハン。この人はモンゴル平原を完全支配した後その騎馬技術を使って周辺地域を続々と潰して周り、そして彼の死後も子孫たちが金王朝を滅ぼし中国の北側を支配。モンゴル帝国第5代皇帝であるフビライ・ハンは1271年に国の名前をモンゴル帝国からに変更し8年後には南宋も滅亡させ中国大陸を完全に支配しました。

そんな形で成立した元ですが、元の最大の特徴はなんといってもモンゴル人中心の政治体制と塩に対する税金でした。

元という国は元々モンゴル人によって建てられた王朝です。そのため漢民族は元々敵。そのためさまざまな差別や区別をすることはモンゴル人からすれば当たり前の思想だったのかもしれません。また、この頃のモンゴル人には定住という考え方は存在せず、羊などの家畜を育てながら生活をしていました。そのため稲作というものを全く知らず、農民という考え方はなくてその代わりに生活に絶対必要な塩に対して税金をかけてなんとか財政を安定させようとしていました。

さらに元では交通なども発達し各地の商人たちが活発して活動する時代でもあり、紙幣も発行されこれまで使用されてきた銀の代わりに使用されるなど今の現代にもつながる制度を元は確立させていたのです。

ちなみに、元王朝は中国を統一した王朝では初めて北京(元の頃は大都)を首都にした王朝。これから先大体の国が北京を首都とします。

明王朝【皇帝の独裁による王朝】

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商人を大切にして発展していった元でしたが、モンゴル人の農業に対する関心のなさや紙幣の乱発によって1350年代に入ると農村は荒れ果ててしまいさらに国内は大混乱していました。

そんな中、1351年白蓮教という宗教の信者が紅巾の乱という大反乱を起こし、元に対して反抗していきます。その中でも特に活躍した朱元璋という人は長江の南側を支配し、南京にて新しく漢民族による国家を成立。明王朝をたててモンゴル人を北に追いやりました。

しかし、この朱元璋という人がなかなかやばいやつで彼は元々貧農中の貧農出身という劉邦もびっくりの底辺からのし上がった人物だったため、官僚という人たちを気に入りません。そのため彼が皇帝に即位してからは粛清のオンパレード。ありとあらゆる官僚を殺しまくって皇帝自身が政治を行う仕組みを確立させます。また、貧農出身ということもあって農民には優しい。彼は農民に対する戸籍を作成して税率を調整。農民の生活をどんどん改善していき、ある程度の人気はあったそうです。しかし、時代が下ってくると元の遺民たちや倭寇という海賊の登場でてんてこ舞い。北虜南倭という外敵のために税金が使われていき衰退していきました。

清王朝【中国の領土の原型を作った眠れる獅子】

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明が衰退した1600年初頭、中国東北部の満州に居住していた女真族という部族が徐々に力を持っていきました。そして1616年にはヌルハチが女真族を統一して後金を建国。明から独立して中国大陸へと南下していきます。そして1636年に後金から清に改名すると明と度々戦争を起こし徐々に明を圧倒し始めていきました。そして1644年に李自成が反乱を起こすと明は滅亡。その隙に一気に南下を始めて1683年に三藩の乱という反乱が起きつつも中国大陸の完全統一を果たしました。

清では皇帝による外征や文化の発展、そして人口の増加などの動きが見られ、清の最盛期の領土は今の中国の領土とほぼ同じと見て取れるように今の中国の原型はこの時に完全に確立されました

こんな風に発展していった清でしたが、1840年のアヘン戦争においてイギリスに敗北すると、ヨーロッパ諸国の進出が激化。かつてのあの繁栄が嘘のように清は分割されてしまいヨーロッパの半植民地的な扱いを受けるようになります。そんな中1911年に孫文によって辛亥革命が勃発。最後の皇帝の溥儀は退位し、清は崩壊。中国における王朝の歴史がここに幕を閉じました。

中華民国【孫文が樹立させた共和制国家】

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辛亥革命により孫文によって新しく共和制の国家である中華民国が建国されましたが、この中華民国は結構ゴタゴタがあり、統一政府というよりはさまざまな軍人が互いに勢力を持っている軍閥が沢山あるような国でした。孫文からしたらこんなことではなかったと思いますが、彼の死後後をついた蒋介石が1926年から北伐を開始。なんとか軍閥を倒していってようやく中華民国の統一政府を樹立させました。しかし、1937年に日本が中国に侵攻すると日本による攻撃を食い止めなければいけなくなってしまい、抵抗して最終的には勝利するものの国土は大いに荒れました。

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