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中国の歴史総ざらい!【各王朝の特徴と出来事を解説】

三国時代【日本でも有名な三国志の時代】

後漢が衰えてきて黄巾の乱が起こる頃になると中国ではさまざまな武将が領土争いをする時代になっていきました。その中でも特に広い領土を保有し、そして中国に3つの王朝を建て蜀の劉備、魏の曹操、呉の孫権の三国が争う時代のことを三国時代と言います。

この三国時代は日本では三国志演義や三国無双などさまざまなアニメやゲームのモチーフになっていますが、中国本土ではというとそこまで有名ではなく、よくて商業の神様となった関羽ぐらいならまだというぐらいです。悲しいですね。

晋王朝 どさくさに紛れて統一した王朝

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さて中国では三国がお互いに争うようになりましたが、結局中国を統一するのは蜀でもなく、魏でもなく、呉でもなく司馬一族が代々当主となっていた晋が統一することになります。晋の実質的な初代である司馬懿は曹操や早々の息子の曹丕が亡くなった後魏の実権を握るようになっていき、その息子である司馬昭の時代になると魏の皇帝から禅譲され魏が滅んでしまい、その領土をそのまま晋に受け継がれるようになりました。その後蜀や呉を滅ぼして三国を統一。司馬炎という人が初代皇帝となり中国を治めるようになります。

しかし、その息子である司馬哀がなかなかのバカ殿で政務が全くできなかった。そのせいで各地で八王の乱とも呼ばれる内乱が勃発してしまい、その内乱によって晋は弱体化。さらに北方民族がその内乱を見て中国に侵攻してくると晋はあっけなく滅んでしまいました。

こうして中国では五胡十六国時代というとてもカオスな時代に突入していくのです。

五胡十六国時代【いろんな国が乱立】

五胡十六国時代は五つの異民族と16国の王朝が乱立していた時代のことを指し、その間に様々な文化の元が出来ていきました。その国をいちいち書くことはさすがに長いし見にくくなるため省略しますが、時代が経つにつれて北側の北魏と南側の宋がそれぞれ統一する南北朝時代に突入していきます。この頃になると勢力図がスッキリするのですが、結局中国を統一するのはこの北魏でもなく宋でもなく北魏の次にできた王朝である北周の武将であった楊堅が建てた隋だったのです。

隋王朝【運河を建設して崩壊した王朝】

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南北朝をそれぞれ統一し、ついに晋王朝ぶりに中国を統一した隋でしたが、この王朝も初代皇帝楊堅の息子である煬帝によってぐちゃぐちゃになってしまいました。煬帝はとんでもなく短気でさらに野心家という性格の為に国民のことを考えずにどんどん土木工事や外征を繰り返していきます。特に中国の南側と北側を結ぶ大運河の建設に力を注ぎ、例えどんなに犠牲者を出しても作ることを諦めずに完成。しかし、それが原因で内乱が起こってしまい煬帝は暗殺。隋は軍人である唐の李淵に禅譲して滅亡しました。

ちなみに日本の聖徳太子が遣隋使を派遣しましたが、その時の隋の皇帝は煬帝です

唐王朝【中国の全盛期を迎えた王朝】

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隋に次いで中国を統一した唐でしたが、この頃中国は最初の全盛期を迎えることになります。その原因の一つが二代皇帝太宗による政策のおかげでした。太宗は混乱状態であった中国を見事に統治。彼が在位していた時は泥棒は誰一人もいなく、玄関のドアを開けっ放しにしていても大丈夫と言われていました。しかし、彼の次の皇帝になっていくと則天武后というものすごいパワフルなおばちゃんが唐を乗っ取り15年間の間中国を治めることになっていきます。この15年間を武周ともいうのですが、この時代の時に朝鮮に出兵して今の朝鮮半島の北部を治めていた高句麗を滅ぼし、さらには西側にも勢力を拡大していきました。

結局、武周は則天武后がなくなる前に崩壊してしまいましたが、その時の唐の皇帝である玄宗という人がなかなか微妙なやつで最初の頃は良い政治をやっていたのですが、晩年になっていくとどんどん楊貴妃という人にベタ惚れ。政務を全然やらなくなり安史の乱という大内乱が起こってしまい唐は一気に弱体化していきます。

そして唐はその約150年後に起こった黄巣の乱によって滅亡してしまいました。

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