~真理姫~武田と木曽の滅亡を見送った長寿の人生
真理姫(当時としては珍しく俗名が伝わっている)は、信玄の三女として生まれました。やはり戦国の習いとして、降伏させた信州の武将である木曽家に輿入れさせ、木曽を親族に加えることで支配を強化しようとしたのでしょう。しかし、真理姫の運命も「武田滅亡」をキーワードとして変転していきます。
新しい城の建設や土木工事の負担に耐えかねた夫の木曽義昌は、武田を裏切り織田徳川へ味方することに。しかし兄勝頼によって人質に出していた子らも殺され、何より真理姫にはその裏切り行為はとても許せるものではありませんでした。そして夫と自ら離縁した真理姫は木曽の深い山中に隠棲してしまうのです。
時は流れ、木曽の地を離れた木曽家は関東の一角で命脈を保っていましたが、息子の義利の代で改易の憂き目に。そして残った三男の義春もまた大坂の陣で討ち死にしてしまうのですね。一人残った真理姫は出家して真竜院と呼ばれ、旧家臣と共に木曽の山中で暮らし続けました。なんと98歳という長寿になるまで生き続けたのです。
~松姫~戦国に咲いた悲恋の花
余談ですが、松姫というと鈴木保奈美さんが初主演されたドラマ「おんな風林火山」の主人公だった人なんですよね。信玄の五女として生まれますが、武田と織田の同盟のために、わずか7歳で信長の嫡子信忠と婚約します。その間、頻繁に手紙のやり取りがあったようで二人の間には徐々に淡い恋心が芽生えていたようですね。
しかし武田と織田の関係に亀裂が入って同盟は解消、婚約は破談することに。家同士の都合とはいえ簡単に恋仲を引き裂かれてしまうなんて…悲しいですね。松姫は織田に嫁ぐ予定だっただけに家中での風当たりも強くなり、兄の仁科盛信に保護することに。しかしそうするうちにも武田家は織田の侵攻を受けて滅亡の憂き目に。盛信は松姫達が敵手にかからぬよう逃がし、ようやく行き着いた先が八王子だったのです。
武田家が滅亡した後、なんと婚約者だった信忠から「妻として迎えたい」との使者が遣わされました。忘れようとしても忘れられなかった方からの求婚の知らせ。松姫はひたすら待ちました。しかし、待てど暮らせど信忠からの迎えの輿は届かない。それもそのはず、本能寺の変によって信忠は既にこの世にはいなかったのです。
それ以降、松姫は数ある縁談を断り続け、八王子の地で亡くなるまで信忠への愛を貫き通しました。そして地元の民からも大変慕われていたとのことです。まさに戦国に咲いた悲恋の花だったのですね。
こちらの記事もおすすめ
戦国時代の女性たちの悲喜こもごも…武将たちの生涯よりもドラマチック! – Rinto~凛と~
それぞれの運命を受け入れていった子供たち
武田信玄の息子たちの多くは戦乱の中で倒れ、そして娘たちは自分たちの運命を受け入れながらも、時にはたくましく、時には優しく、与えられた人生を精一杯生きていったのでしょう。「神」であった信玄の子供たち。父ほど目立たないながらも、その輝きが忘れられることはないのでしょうね。
こちらの記事もおすすめ
最強の戦国大名と戦国武将は誰?個人的に思う最強大名と武将を徹底解説【12選】 – Rinto〜凛と〜