その5 自由人からの名君 水野勝成
次に紹介するのは水野勝成です。この人は元々徳川家康の従兄弟だったそうですが、実は色々あっていろんなところを転々としていました。まずは父が織田家に着いたから織田家へ、そこから本能寺の変が起こると再び徳川家に着いて小牧・長久手の戦いで大活躍をしますが、父がいらないことをしたせいでまさかの解雇。一時期は陶芸職人になるなどすごいジョブチェンジをしていました。しかしいろんな大名が彼の才能を感じており、織田信雄(信長の次男)の紹介で豊臣秀吉の部下になりました。
しかし、その後よりにもよって秀吉軍が大敗北を喫してしまう戸次川の戦いで秀吉軍についたことによって逃亡。六左衛門(ろくでなしからきているよ)と名乗り再び流浪の身となります。そしてさまざまな家を転々として1600年、関ヶ原の戦いでは家康の下に再び戻り三河の刈谷というところに領地をもらってこれ以降家康の家臣として働くことになりました。その後彼は大坂夏の陣で敵を97人も倒したことが評価され、福山10万石に加増。島原の乱の時も中心的役割を果たしました。彼が流浪の旅をしても最終的には福山の城主になったのは彼の武将としてのスキルが非常に高かったことが伺えます。
最強の大名と武将を紹介して
戦国大名や戦国武将が活躍した時代は権威なんかにとらわれずに自由に活躍することができる時代でもありました。戦国時代で活躍した大名や武将たちはこのように活躍する時代が似合っていたのかもしれませんね。