芸州口の戦い
最後に芸州口の戦いですが、これはもう幕府にとって勝負にならない戦いでした。元々この地位には山陽の大名が担当することになりましたが、当の総大将であら広島藩の浅野家が長州藩に攻め入ることはありません。ちなみに、この時広島藩と長州藩は密約を結んでおりそのため幕府軍は長州藩は勝つことはありませんでした。そのほかの半も兵力が貧弱化戦うことを放棄した藩が続出してしまったため芸州口でも敗北。こうして四つの口にて完敗してしまった幕府軍。こうして第二次長州征伐は幕府軍の圧倒的な劣勢に追い込まれることになるのです。
第二次長州征伐のおわり
第二次長州征伐で幕府軍はどこでもボコボコにさせていましたが、ここでさらに幕府にとどめの報告が入ることに。何と、将軍であった徳川家茂が脚気によって長州征伐の指揮を行うために遠征先の大坂城でこの世を去ってしまったのです。ただでさえ圧倒的に劣勢だったのにさらに最高指揮官でもある将軍がいなくなった幕府軍は大混乱。いちおう「今回はこれぐらいで許してやる」みたいな形で講和を結ぶことになりましたがどう見たって中身は幕府軍のボロ負けでした。
こうして幕府軍の散々な結果によって第二次長州征伐は終わりを迎えたのです。
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長州征伐の影響
この第二次長州征伐はあくまでも長州藩が強化されていたという面はありますが、長州藩という一藩が国家を相手に勝利するという前代未聞の結果となりました。そしてこの戦争によっていかに幕府の力が衰えたのかを諸藩に見せつけ、その権威は地に落ちていくようになります。
ここから幕府の倒幕運動は一気に激化するようになり、第二次長州征伐によって幕府は武力の低下も示してしまったこともあってそこれをきっかけとして日本では倒幕ムードが一気に加速していったのでした。
第二次長州征伐は日本を大きく変えた
上にも書いた通り、全国を統制している幕府軍がわずか36万石の長州藩に負けるということは前代未聞であり、この第二次長州征伐によって幕府の藩の関係は大きく変わる結果となりました。幕府は第二次長州征伐からわずか1年後に大政奉還を迎えたことも見てみるとこの第二次長州征伐から幕府は一気に崩壊に向かっていき、そして明治維新を迎えることになるのです。第二次長州征伐はまさしく日本の歴史の転換点だったのですね。