人類が起こした悲劇を伝える「負の世界遺産」とは?忘れてはいけない8つの遺産を紹介
#7 アープラヴァシ・ガート
Avinash Meetoo – originally posted to Flickr as 2008-03-20_12-34-00, CC 表示-継承 2.0, リンクによる
「アープラヴァシ・ガート」は、マダガスカル沖合の島国モーリシャスにあった移民受け入れのための建物群のことです。モーリシャスはイギリスの植民地でしたが、1834年に奴隷制度を廃止。黒人奴隷たちは解放されることになりました。
ところが現地の労働力不足に悩んだあげく、新たに移民契約労働という制度が誕生したのです。インドからモーリシャスへ渡ってきた人々は、アープラヴァシ・ガートで受け入れられ、島内の農園などで労働し、中には遠く南米やオーストラリアへ送られた人もいたのだとか。1910年までこの制度は続くことになりますが、総計40万人ものインド人たちが渡ってきたそうですね。
奴隷制度がなくなる代わりに、安く買い叩ける移民契約労働制度は、為政者たちにとって好都合だったことでしょう。
病院や教育機関などの施設もあったそうですが、概して移民たちの生活は貧しく過酷で、まるで刑務所のような建物の外観が当時の厳しさを物語るようです。
現在残る建物は1849年に建てられたものですが、そのうち15%が現存しており、波止場・病院・トイレなどの遺構が見学できます。また当時を模した人形も展示されていますから、どのような生活環境だったのかが理解しやすくなっていますね。
#8 ロベン島
Stephantom – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる
「ロベン島」は、南アフリカのケープタウンにあるテーブル湾に浮かぶ小島です。「ロベン」とはアザラシを指すオランダ語ですが、そんなのんびりとしたイメージとは違って、負の過去を持つ島だといえるでしょう。
17世紀頃にオランダの流刑地だったこの島は、近代に入るとハンセン病患者・精神病患者・慢性疾患患者などが収容されました。その後、人種隔離政策であるアパルトヘイトが1948年に施行されると、この島は政治犯を収容する刑務所となったのです。周囲の潮流が激しく脱出が困難だったことから、「監獄島」という異名が付いていたとも。
アパルトヘイトに反対する多くの黒人活動家らが収監されましたが、のちに南アフリカ大統領となるネルソン・マンデラ氏もそのうちの一人でした。
根強くあきらめない運動が実り、ついにアパルトヘイトは撤回されるわけですが、ここに収容されていた人がこう語っていますね。
「アパルトヘイトの残虐さを忘れることはありえないが、ロベン島を苦痛と苦悩のモニュメントとして記憶しないでほしい。悪の力に対抗した人間の魂の勝利として、矮小な心に打ち勝った英知と魂の勝利として、人間の脆弱さ、弱さを打ち破った勇気と決意の勝利として記憶してもらいたい。」
ロベン島はまさしく、人種差別に打ち勝った黒人たちの勝利のモニュメントと呼んでも良いでしょうね。
島内に残る刑務所は内部を見学できますし、周囲を取り囲む鉄条網もリアルそのもの。マンデラ氏が収監されていた独房はあまりに狭くて驚くのではないでしょうか。
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未来へ遺していくべき負の世界遺産
悲惨な出来事を伝えるべき語り部は、年を追うごとにどんどん少なっていきます。また人々の記憶もどんどん薄れていくものです。しかし「歴史の生き証人」たるべき現存遺物は、人間の努力次第で保全や保護が可能なのですね。記憶を風化させないためにも、負の世界遺産は未来へ遺していくべきですし、反省や悔恨の象徴として、そこにあるべきなのでしょう。