日本の歴史昭和

多くの人々を苦しめた公害病「新潟水俣病」とは?~高度成長期の光と影~

戦う姿勢を見せ始める被害者たち

原因究明が農薬流出説に傾きつつある中、なおも昭和電工原因説を唱える人々もいました。厚生省特別研究班と、新潟大学の椿教授です。彼らは昭和電工鹿瀬工場以外にも水銀を使用している工場を丹念に調べ上げ、それらの工場排水が阿賀野川へ流れ込まないことを確認した上で、原因工場として昭和電工鹿瀬工場を特定したのでした。

翌年4月、特別研究班は、原因が鹿瀬工場から排出されるメチル水銀によるものと結論付けて報告書を厚生省に提出。厚生省もまた新潟水俣病は、昭和電工の工場排水が基盤で発生したものであると答申しました。

それを受けた被害者らは、いよいよ補償問題に対して戦いの狼煙を上げることになりました。熊本の時と同じく、見舞い給付金による解決を国から打診されますが、当時の昭和電工専務がテレビ番組で言い放った次の言葉が被害者らを奮い立たせることになったのです。

「仮に国が結論を出して、加害者が昭和電工だという結論に達しても、当社は従わない。自分たちは従わない。」

昭和電工側にしてみれば、謂われなきクレームを受けただけのことで、補償する義務もなければ責任もないと断言したのでした。

昭和42年6月、ついに昭和電工を被告として新潟水俣病民事訴訟が始まりました。日本に置ける四大公害訴訟のうち、最初に提起された補償であり、社会に対するインパクトは絶大なものとなりました。

同年と翌年には四日市公害訴訟、富山県のイタイイタイ病訴訟が矢継ぎ早に提起され、日本の公害問題が一気にクローズアップされることになったのです。

また新潟水俣病裁判の原告・弁護団らは熊本県水俣市を訪れ、現地の被害者団体らと合同で【水俣病対策市民会議】を立ち上げました。

「熊本と新潟の事件は一つのもの。科学的根拠を認めた上で、政府は患者の救済を実行せよ!」と共同声明を発したのです。

損害賠償訴訟の成り行き

いよいよ裁判が始まると、昭和電工が訴えてきた農薬流出説がどんどんひっくり返されていきます。

例えば根拠として、長い髪の毛を持った患者の場合、新潟地震の起きた以前からあった髪の毛から多量の有機水銀が検出されました。これは新潟地震で農薬が流出したという説では説明できません。

こうした事実を突きつけられて、昭和電工側や北川教授らは裁判を通じて、なりふり構わぬ工作を展開していたといいます。新潟地震の際に、昭和石油のタンクから漏れ出した石油が川を流れる様子を指して、「これが流出したメチル水銀だ」と主張するなど、苦しい言い訳に終始することになりました。もはやだれが見ても裁判の結果は明らかだったと言えるでしょう。

昭和46年9月、訴訟のスタートから約4年の歳月が流れることになりましたが、新潟水俣病第一次訴訟は原告側の全面勝訴に終わり、さらに昭和48年には熊本水俣病第一次訴訟判決が下り、これも原告の全面勝訴となりました。

明治時代の足尾鉱毒事件以来、日本の公害被害者は、これまで敗北の歴史を重ねてきました。こうして初めて被害者側が勝利を得たということは、公害被害者敗北の歴史にピリオドを打ったという歴史的意義があるといえるでしょう。

新潟水俣病第一次訴訟判決があった翌日、昭和電工は「いかなる判決だろうと、当社は新潟地裁の判決に従います。」という旨の声明を出しました。

しかし第一次訴訟で勝訴したといっても、その後に続く継続訴訟では、被害が認定されることもあれば、否決されることもありました。いわば「公害との因果関係が認められなければダメだ。」というわけですね。また現在においても新潟水俣病に関して、係争中の訴訟がいくつかあり、完全に事件が解決したとは言えない状況なのです。

公害問題と向き合う社会

その後、第3の水俣病といえる有明海の公害事件を発端として、日本中が水銀パニックに陥りました。有毒物質を垂れ流していた大企業に対して厳しい目が向けられ、国による規制が求めらる時代となったのです。

すでに昭和42年の段階で公害対策基本法が定められて、「公害」と「国民の健康」とを紐づけし、さらに昭和48年には農林水産省によって水銀暫定基準が定められました。

公害対策基本法は平成5年に環境対策法と名を変えますが、地球規模の環境問題を念頭に置いた 「持続的な発展が可能な社会 」 の構築を目指すことになったのです。

企業側の努力もあり、かつて公害大国だった日本は大きく様変わりするようになりました。これも過去の公害による過ちの反省に基づくものでしょう。

かつて当事者だった昭和電工のウェブサイトには、このような文言が書かれています。

 

新潟水俣病に関しては、公式確認から50数年が経過しました。阿賀野川汚染により、被害者および周辺地域の方々には多大なるご迷惑をおかけしました。当社は、この問題の解決を図るべく、国や地方自治体とも連携をとりながら、公害健康被害の補償等に関する法律をはじめとする法令等に則り、今後も誠意をもって対応してまいります。

引用元 「新潟水俣病について」

公害はもはや日本だけの問題ではない

image by PIXTA / 21528701

公害は地球規模で取り沙汰され、もはや日本だけの問題ではなくなってきました。経済発展が著しい中国やインドなどは今後も公害問題の主役であり得るでしょうし、経済成長と共に公害を経験してきた日本だからこそ、何かができる可能性もあるのです。経済を取る代わりに、人間の健康を犠牲にする。そんな本末転倒なことがあってはなりません。

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明石則実