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500年続いた朝鮮の国「李氏朝鮮」をわかりやすく解説!

日本のお隣の国韓国。しかし、それ以前は李氏朝鮮という国が存在していました。 今回はそんな李氏朝鮮について詳しく解説していきたいと思います。

李氏朝鮮の概要

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李氏朝鮮1392年に高麗の武将李成が高麗の王に代わって即位したことで成立した国です。

朝鮮は成立した当初から明の冊封を受けており、基本的には明に従う関係性となっていました。ちなみに朝鮮という名前も明の皇帝朱元璋から下賜されたものです。

その後、朝鮮は日本と明の狭間にいながら地道に発展。日本による朝鮮出兵や清の侵攻などの出来事もありながら存続していきました。

しかし、日本が明治維新に入ると日本は朝鮮を狙うようになり、日清戦争で清から独立させると朝鮮は国号を大韓帝国と改めることに。

その後は日韓の協約によってじわじわと日本の保護国になっていき、最後は1910年に韓国併合ニ関スル条約が締結されたことによって消滅しました。

李氏朝鮮の建国

李氏朝鮮が朝鮮半島を支配する前にこの地域には高麗という国が存在していました。

高麗は元の属国となっていたり、さらには倭寇の襲来によって混乱の情勢となっていたんだとか。

そんな倭寇で弱体化の道を歩み出していた高麗の中で武将の地位が次々と高まっていくことになります。その中でも特に力を伸ばしていたのが女真族との抗争で名を挙げていた李成桂。

李成桂は倭寇や女真族との戦争に自信をつけて次々と李成桂に味方になる人が続出。

そして李成桂は1388年についにクーデターを起こして高麗の首都開城を占領。その後全ての権力を手に入れた李成桂は1392年に恭譲王を廃位しで高麗王に即位。高麗は滅亡し李氏朝鮮が成立することになりました。

明への服属

こうして李成桂は朝鮮半島を支配する権力をえましたが、だとしても明や日本に対して対抗することができるほどの力はありませんでした。

そこで李成桂は成立した直後に明へ使者を送り李成桂は権知高麗国事を明から与えられ実質とともに朝鮮国王として明の属国となりました。

明の属国となった李氏朝鮮は高麗が保護していた仏教を弾圧していくようになり、その代わりに朱子学を重用していくようになります。

こうして中国の属国としてスタートした朝鮮は良くも悪くも中国の影響をもろに受けることになるのでした。

本来は李氏朝鮮ではない!?

李氏朝鮮は李成桂が建国して李氏が王位を継承した王朝なので日本では李氏朝鮮という言い方をするのですが、李氏朝鮮がかつて存在していた韓国では李氏朝鮮とは言わずに朝鮮といっているんだとか。

そもそも朝鮮はこの王朝でしか使われておらず、わざわざ李氏をつける必要はないため、別に李氏朝鮮ではなく朝鮮でも韓国では通じます。

朝鮮の確立

こうして成立した李氏朝鮮。李氏朝鮮は李成桂が亡くなった後跡継ぎ騒動が起こり、しばらく混乱の時代が続くことになります。1398年からしばらくの間李成桂が望んだ王子と敵対していた王子が争う王子の乱が発生。二度にもわたって繰り広げられたこの乱によって李芳遠が第3代国王として即位することになります。

この国王の時代に正式に朝鮮と名乗るようになり、さらには明に習って科挙の制度を導入して官僚制度を整えるとともに、政治体制が確立。さらにはこの頃悪化していた倭寇を討伐するために倭寇が本拠地としていたとされる対馬に侵攻を開始。いわゆる応永の外寇と呼ばれるこの戦争によって日朝貿易は衰退することになりましたが、朝鮮の倭寇はこの頃から衰退することになります。

世宗の時代

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朝鮮の歴史の中で一番安定しておりそして最盛期と呼べる時代が世宗の時代でした。

世宗は対外的には侵攻戦争をたびたび行い1437年に豆満江以南の女真地域を侵攻し制圧。現在の朝鮮の国境線を確立しました。

さらには国内の政治体制を安定させるために王様による政治体制をより強固なものとしていき、その上で政治を行うための機関を設置して官僚主導の政治に政治制度を切り替えました。

また、朝鮮の発展のために人材育成にも力を入れ、民間にも読める文字を開発。これが現在でも韓国語で使われることとなるハングル(訓民正音)でした。

世宗の時代は31年に及んで朝鮮の安定が続いた時代でもあり、さらにはハングルの制定や朝鮮の国境の確定など現在にまで続く朝鮮の仕組みが確立した時代でもあったのです。

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