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近代ニッポンを支えた世界遺産「八幡製鉄所」とは?わかりやすく解説

新しい時代を迎えた八幡製鉄所

八幡製鉄所を取り巻く環境も刻々と変化していきました。昭和37年に戸畑地区と若松地区を結ぶ日本初の吊り橋「若戸大橋」が完成し、人やモノの流れを支える大動脈が出来上がりました。八幡製鉄所で製造された多くの鋼材が用いられたといいます。

さらに翌年には、八幡・戸畑・若松・小倉・門司の5市が合併して、北九州市が誕生。都市機能を一体化して有効に発揮する一大都市圏が形成されました。

昭和48年に本州と九州を繋ぐ関門橋が完成。当時の日本で最大規模の橋でした。ここでも八幡製鉄所の鋼材が30,000トンも使われています。

また八幡製鉄所自体も時代の変化と共に形を変えていくようになりました。昭和33年に新しく戸畑製造所が完成すると、徐々に生産機能が戸畑地区へ移っていきます。昭和45年に八幡製鐵と富士製鐵が合併して新日本製鐵が発足したことを契機に、八幡地区のほとんどの高炉や工場が休止し、戸畑地区が生産の中心となりました。

この結果、工場跡地120ヘクタール分(東京ドーム25個分)が遊休地となり、昭和63年からスタートした北九州ルネッサンス構想の舞台となります。

21世紀の新しいまちづくりを推進するため、「快適居住都市」「福祉・文化」「国際技術情報都市」「交流都市」「学術・研究都市」をキーポイントにして、それに見合った住宅、企業誘致、道路建設、教育機関や研究施設などの整備が行われました。地方都市再生のための大きなモデルケースとなったことは間違いないでしょう。

現在の北九州市は、平成20年に「環境モデル都市」に認定され、平成23年にはOECDからアジアで初めての「グリーン成長モデル都市」として選定されました。かつての公害都市からの脱却、そして環境問題を継続して意識してきたからこその実績ではないでしょうか。

環境やエコに配慮した都市づくりは、これからも八幡製鉄所をはじめとした企業群と共に発展していくことでしょう。

八幡製鉄所の構成遺産を見てみよう!

image by PIXTA / 22736524

八幡製鉄所で世界遺産として指定されているのは、「旧本事務所」「修繕工場」「旧鍛冶工場」「遠賀川水源地ポンプ室」の4つ。いずれも官営製鐵所時代の明治43年までに建てられた建造物です。特に遠賀川水源地ポンプ室は今でも現役で動いていることに驚きですね。いずれも日本製鉄の敷地内となっていて見学はできませんが、平成27年に新設された眺望スペースからは、旧本事務所の外観を見学できますし、VR体験ツアーなども行われています。ボランティアガイドさんも常駐されていますよ。ぜひ行ってみたいところですね。

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明石則実