ヨーロッパの歴史ロシアロマノフ朝

【歴史】ロシア最重要人物「ピョートル1世(ピョートル大帝)」とは?わかりやすく解説

文化改革

ピョートル1世はひげ税のように無理やりにでも近代化を推し進めていきます。

ピョートル1世はこれまでのロシアの文化を大部分をなくしていき、服装もこれまでのロシアの服装からヨーロッパの服装に変更。

さらにはこれまでのロシアを支配していたロシア正教会もその実質的の権力を皇帝に集中させていき、教育分野にまで進出。

ロシアではこれまで宗教に基づいた政治が行われていましたが、ピョートル1世から実用的な科学や外国語といった教育を行わせるようになっていき、ロシアの近代化を推し進めていく一つの要因となっていきます。

ロシアの対外戦争

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ロシアは17世紀に入っていくと次々と領土を拡大していくことになります。そして最大のロシアの課題であり、領土拡張の肝になってきたのがいつも凍らない港である不凍港の獲得だったのです。

対オスマン帝国戦争

ピョートル1世率いるロシアが最初のターゲットとしたのがオスマントルコ帝国でした。

ロシアはこの時南下政策をとっており、それに追随する形でクリミア方面に進出を図ろうとしていたのです。ロシアは南下政策を行いはじめていくことにより南ロシアに存在していたモンゴル民族国家の残骸を次々と併合。さらには1696年にはオスマン帝国と露土戦争を開始することになります。

ロシアは1700年にコンスタンティノープル条約を締結してアゾフと呼ばれる地域を獲得することが認められたのでした。

大北方戦争

こうして南ではある程度の領土を獲得することに成功したロシアでしたが、次に挑む相手は16世紀にスカンディナビア半島の王者となりバルト海の覇者でもあるスウェーデンでした。

ロシアからしてもバルト海というのはヨーロッパに出る近道であったため欲しくて欲しくてたまりません。

そこでピョートル1世はスウェーデンに反抗していたポーランドやデンマークと同盟を結びスウェーデンに侵攻を開始。いわゆるロシアの今後を決めることになる大戦争大北方戦争(北方戦争)が幕を開けることになるのです。

スウェーデンとの長きにわたる抗争

大北方戦争ではスウェーデン軍が初めの頃は鍛えに鍛えた群を使って破竹の勢いで進撃を開始することになります。

当時オスマン帝国との戦争が終結したばかりであり、その隙をつく形となったロシア軍は緒戦で次々と敗北。

北方の流星王と呼ばれたカール12世率いるスウェーデン軍は破竹の勢いで攻めていくようになりロシアの領地にどんどん攻め入っていくことになります。

そこでロシアが使ったのがロシアのお得意の戦術であった焦土戦術。焦土戦術に混乱に落ちいつまでしまったスウェーデン軍たちまち敗北を重ねていくようになり、カール12世はオスマン帝国に亡命することになるのでした。

一方でロシア軍の被害も甚大であり、戦争の終結はしばしの持ち込みとなるのです。

バルト海の覇者へ

スウェーデンはオスマン帝国と同盟を結びロシアを二国で攻め入るという協定を結ぶことに成功。オスマン帝国にも攻められることになったロシアはプルト条約によって手に入れたアゾフを手放すことになります。

しかし1712年からロシアは大攻勢に乗り出していくことに。オランダとイギリスの造船技術を学んで手に入れたロシア海軍はハンゲの海戦で歴史的勝利をおさめ、バルト海の覇権を獲得。ロシアは勢いに乗じてスウェーデンのドイツ領を侵略していき、スウェーデンを講和に持ち込もうと画策していくようになりました。

こうして戦争に負けてしまったスウェーデンは二スタットの和約を締結。

ロシアはリガ・カレリア・エストニアなどといったバルト海の重要拠点を手に入れることに成功し、バルト海の実質的な覇者となったのでした。

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