サンクトペテルブルクの建造
大北方戦争の勝利はロシアの未来を大きく変えていくことになりました。
これまで基本的にはバルト海の覇者はスウェーデンであり、ロシアは東方にある辺境の国というイメージが強かったのですが、この大北方戦争に勝利したことやバルト海の重要都市を手に入れたことによってロシアは一気に列強の道を歩んでいくことになります。
そんなロシアが次に力を入れたのがバルト海近くに新しい首都を建設することでした。
当時、ロシアの首都は今と同じモスクワに置かれていたのですが、モスクワはかなり内陸にある都市であり貿易には不向きな土地でもありました。そこでピョートル1世は手に入れたネヴァ川の河口にあるデルタ地帯に新しい首都の建設を開始。ピョートル1世はは「聖ペトロの街」という意味を込めてサンクトペテルブルクという名前をつけることになりました。
サンクトペテルブルクの建設には大量の石と大量の人員を動員して急ピッチで現像していき、1712年に満を持してピョートル1世はサンクトペテルブルクに遷都。遷都したことによって貴族や商人などもこれと同時期にモスクワから移住することになり、最初は辺境の土地であったサンクトペテルブルクは遷都してから10年後には7万人に達し、都としての威容を整えていくようになりました。
現在ではモスクワにまた首都が戻っていますが、現在でもサンクトペテルブルクはロシア第二の都市として機能しているのです。
ピョートル1世がロシアの原点を作った
ピョートル1世は自ら率先して近代化を推し進めたことによってロシアは列強として並べる存在となっていき、世界屈指の大国へとのし上がっていくことになります。
その裏側にはピョートル1世の並々ならぬ努力があったからなんですね。
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