平成日本の歴史昭和

狂気の時代「バブル景気」とは?どうして生まれた?わかりやすく解説

バブル崩壊の嵐

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こうして日本は実績とはかけ離れた好景気となっていましたが、この実績とは異なる好景気の反動は計り知れないものでした。確かに好景気はいいんですけどバブルが信仰していくとどえらいインフレーションに突入してしまい取り返しのつかないことになります。

そこで日本銀行や大蔵省はこのバブルを収束させるために動いていくことになりました。

総量規制による金融引き締め

日本銀行や大蔵省がまず最初に行ったのが総量規制という金融引き締めでした。金融を引き締めて銀行に借りづらくすることでお金をもたせないようにしたのですね。

この総量規制によって公定歩合は2.5パーセントから6パーセントに引き上げ。さらにノンバンク・不動産業・建設業の三業種にどの企業や個人に融資しているのかという実態報告を求めるようになりました。

株価大暴落

こうしてお金を借りづらくなってしまった企業や個人。さらに1991年には持っている土地に対して課税する地価税法も施行され土地神話は完全に崩壊。7このことに危機感を抱いた投資家や企業はできるだけ被害を収めるために土地や株を一気に売却。

売却するとそれに応じて地価や株価は下落するため、それを続けていくうちに株価が大暴落することになったのです。

1989年の12月29日に日経平均株価は一番上に書いた3万8915円という最高額に到達しましたが、この日を機に株価が少しづつ下落していき、1990年10月には日経平均株価は2万円を切ってしまうとんでもない事態となります。

さらには地価税法が施行されたのちは地価と株価がどんどん下落していくようになり、さらに空気読まずに経済エコノミストが「株価が暴落する」と書いたため株の売却は止まるところを知らず、1992年には東証のすべての上場企業の総株価が半分にまで下落。これは要するに日本の企業のほとんどの株価が半分になったということを指しているため、国民は大混乱状態に陥ります。

ここまで行けば落ちるところまで落ちていき、日本のバブルは完全に弾け飛ぶことになり、日本は失われた20年と呼ばれる低成長期に突入することになるのです。

つのる不良債権と金融機関の破綻

バブル崩壊によって冷えに冷えた日本の経済は不良債権の山とともにやってくることになります。

バブル崩壊によって株価が大暴落したことによって不良債権は特に貸していた銀行の業績を悪化させてしまう要因となってしまい、銀行が次々と破綻してしまうという状況に追い込まれてしまいます。国は最初は銀行を破綻させないつもりでいましたが、1995年から一気に方針転換してあまりにもひどい業績であれば金融機関を破綻させるという形となっていき、この年に兵庫銀行が破綻。

その流れで日本長期信用銀行、北海道拓殖銀行、山一証券、三洋証券が次々と破綻してしまい、さらに1997年にはアジア通貨危機も合わさり日本の経済はどん底に陥ることになりました。そしてその傷痕をなんとか消しながら現在に至っているわけなのです。

バブル景気は日本人の感覚を狂わせた

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バブル景気は日本にとっても経済史の一大転換と言ってもいいほど重要な出来事として今に伝えられています。

バブル景気は人々の熱狂によって支えられており、そしてその熱狂の最中で大混乱に陥ることになるのですが、今だからこそこのバブル景気について見ていかなければならないと思いますね。 

 

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