イタリアヨーロッパの歴史

イタリアの歴史って?紀元前から第二次世界大戦までの流れを元予備校講師がわかりやすく解説

中世のイタリア

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中世は4世紀から15世紀にかけての長い時代です。この時代、イタリアには統一国家はなく、各地にできた小王国がしのぎを削りました。西ローマ帝国滅亡後のイタリア半島はゲルマン人の支配や東ローマ帝国の支配を受けます。やがて、勢力を増したフランク王国がイタリアに進出。ローマ教皇に教皇領を献上しました。十字軍の時代になると、イタリアの沿岸にあった海の四共和国が勢力を拡大します。富を蓄えたイタリア諸都市は14世紀から15世紀にかけてイタリア・ルネサンスを生み出しました。

フランク王ピピンの寄進

西ローマ帝国滅亡後、イタリアは東ゴート族やランゴバルト族の王国となりました。一時、東ローマ帝国がイタリア半島南部を制圧しますが、中世を通じてイタリア半島全体を統一する国家は現れません。

751年、フランク王国の実力者だったピピンが王位を奪い、カロリング朝を創始しました。ピピンは政治的後ろ盾がなく、ランゴバルド王国の圧力を受けていたローマ教皇を支援。ランゴバルド王国から奪ったラヴェンナを教皇に寄進しました(ピピンの寄進)

政治的な後ろ盾を得たいローマ教皇庁と、宗教的な権威を利用したいフランク王ピピンの思惑が一致した形ですね。

ローマ教皇庁とフランク王国はさらに接近。800年に、フランク王カールカール大帝、シャルルマーニュ)がランゴバルド王国やアヴァール人、イスラム教徒に勝利します。ローマ教皇レオ3は、カールをたたえて西ローマ皇帝の帝冠を授与しました。

十字軍と海の四共和国

11世紀末、ビザンツ皇帝アレクシオス1はローマ教皇に援軍を要請します。ローマ教皇ウルバヌス2はイスラム勢力に奪われたままの聖地イェルサレム奪還のための十字軍を提唱しました。

領土獲得の野心を抱く諸侯や騎士たちは十字軍に積極的に参加します。新領地を獲得できるうえ、そのための軍事行動を宗教的情熱によって正当化できるからです。このとき、十字軍の兵士を中東方面に輸送することで利益を上げたのがイタリアの海の四共和国でした。

アマルフィ、ピサ、ジェノヴァ、ヴェネツィアは十字軍の海上輸送を請け負うことで大きな利益を上げます。また、十字軍国家に協力することでイタリアの海洋都市国家は貿易の利益を得ました。

現代イタリアの海軍旗には、四つの海の共和国の紋章が描かれています。アマルフィの八角十字、ピサの赤字に白十字、ジェノヴァの聖ゲオルギウス十字、ヴェネツィアの黄金獅子の四つが中央にデザインされた海軍旗は、海の共和国の歴史を物語ってくれますね。

イタリア・ルネサンス

14世紀から16世紀にかけて、イタリアを中心に新たな文化・芸術活動が展開されました。それが、イタリア・ルネサンスです。中世を通じイタリアでは商工業が発達しました。

12世紀から本格化する十字軍の遠征や活発化した東方貿易によりイタリア諸都市は富を蓄積し繁栄します。15世紀末にビザンツ帝国が滅亡すると、古典の知識を持った学者たちがイタリアに亡命しました。

古典学者たちの亡命などがきっかけとなり、古代ギリシアやローマの文化を見直す古典復興の動きがはじまります。すると、個人を重視する人文主義(ヒューマニズム)が盛んになりました。

また、富を手にした商人たちは芸術家たちの活動を支援。中世とは違う個性を重視したルネサンス(ルネッサンス)とよばれる文芸活動が盛んになります。特に芸術を振興したのがフィレンツェメディチ家でした。ルネサンスはイタリア戦争でイタリア諸都市が荒廃するまで続きます。

近代のイタリア

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フランスやイギリスで統一国家が作られていたころ、イタリアやドイツでは小国家の寄り合い所帯が続きます。19世紀中ごろ、イタリアでは統一の機運が高まりました。サルデーニャ王国を中心とするイタリア統一が達成された後、イタリアは「未回収のイタリア」と呼ばれた地域の獲得に全力を尽くします。20世紀にはいると、ファシスト党を率いるムッソリーニが政権を奪取。ファシスト政権が成立します。

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