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若き名君「玄宗」とは?彼を変えた美女とはーその生涯をわかりやすく解説
実権を失い、軟禁状態で余生を過ごす
すでに、玄宗の手に権力はありませんでした。安禄山の反乱は、彼の死後その部下の史思明(ししめい)が続けて乱を起こし、「安史の乱(あんしのらん)」と呼ばれる一大反乱にまで発展していました。全盛をきわめたはずの唐の屋台骨はぐらつき、衰退へと向かい始めていたのです。
権力を失った玄宗は、皇太子・李享(りきょう)の即位さえも事後承諾させられ、ほぼ無理やり上皇の地位に移されました。安史の乱はやがて鎮圧され、玄宗も長安に戻ることができましたが、そのままほぼ軟禁状態に置かれることになります。そのまま彼は政治の表舞台に戻ることなく、762年に77歳の生涯を閉じたのでした。
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楊貴妃に運命を変えられた名君・玄宗
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玄宗は、前半生と後半生とでまるで別人のように変わってしまいました。「傾国の美女」楊貴妃と出会わなければ、唐の衰退はもっと先になり、玄宗は曽祖父・太宗以上の名君として語り継がれたことと思います。また、名君さえも狂わせた楊貴妃の美貌がいかにすさまじいものだったか…想像さえもできません。