若き名君「玄宗」とは?彼を変えた美女とはーその生涯をわかりやすく解説
「開元の治」を行った英明なる君主
玄宗は積極的に政治に乗り出しました。曽祖父・太宗が行った「貞観の治(じょうがんのち)」を参考にしたその政治は「開元の治」と呼ばれ、祖母・武則天に才能を見出されていた逸材である姚崇(ようすう)や宋璟(そうけい)を登用しました。税制改革や徴兵制度の見直しなどが行われ、広大となった領土の地方統治を担う節度使(せつどし)を設置するなど、彼は次々と改革を行っていったのです。
文化面でも、玄宗の治世は成熟期を迎え、偉大なる詩人・李白(りはく)や杜甫(とほ)、白居易(はくきょい)が登場しました。
能力ある者は登用するという玄宗の姿勢は、異民族であっても取り立てられるということでした。日本の阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)などは、玄宗に気に入られ、帰国することを許されなかったほど重用されたのです。こうして、唐の首都・長安は世界的にも例を見ない、人口100万を数える大都市へと成長したのでした。
とはいえ、異民族の登用や節度使の設置は、後に、玄宗の首を絞めることになるのです…。
運命の女性・楊貴妃との出会い
皇帝の使命のひとつは、子孫を多く残すこと。そのため、たくさんの美しい女性たちが後宮に控えていました。玄宗もまた、何十人という妃を持ち、それ以上の子供をもうけていました。
しかし、737年、寵愛していた武恵妃(ぶけいひ)が亡くなると、玄宗は彼女以上の女性を求め始めます。そして彼が出会ったのが、なんと武恵妃との間の息子・寿王(じゅおう)の妃である楊玉環(ようぎょくかん)でした。息子の妃を奪うなど醜聞以外の何物でもありませんから、玄宗はそこで彼女をいったん出家させ、それから密かに自分の後宮に入れてしまったのです。
この女性こそ、後の楊貴妃。親子ほど年齢の離れた二人は、こうして、中国史上最大のラブロマンスの主人公となります。と同時に、玄宗の凋落の影も、ひそかに忍び寄って来ていたのです。
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楊貴妃との甘い生活、そして報いが降りかかる
楊貴妃の美貌に夢中になった玄宗は、彼女との生活に溺れました。二人は甘い時間を過ごしましたが、それは同時に玄宗が政治を顧みなくなることとことを意味していたのです。結果、反乱が起き、国内は大混乱に陥りました。そして、玄宗はその元凶とされた最愛の楊貴妃に死を命じなくてはならなくなったのです。
楊貴妃の美しさに溺れる
楊貴妃は豊満な美女で、やわらかな香りに包まれ、音曲に優れていたと言います。後に二人のロマンスを描いた白居易の「長恨歌(ちょうごんか)」には、彼女のことを「視線をめぐらせて微笑むと、その限りないあでやかさに、後宮の女官たちの美貌すら色あせて見える」と描いており、玄宗が彼女に溺れていく様子も同時に描かれました。そして、玄宗は若い頃の闊達さを失い、楊貴妃のもとに入りびたり、朝早くから出ていた政治の場にも出てこなくなってしまったのでした。
彼らの関係は長恨歌に「比翼の鳥」「連理の枝」と書かれ、その言葉は夫婦の仲睦まじさの象徴となりましたが、皇帝がこれでは、仕える家臣たちはたまったものではありません。
玄宗に政治をほぼ丸投げされた宰相の李林甫(りりんぽ)は、玄宗の信頼を盾に専横をきわめ、やがて朝廷は混乱の渦へと巻き込まれていったのです。
目をかけていた安禄山が反乱を起こす
楊貴妃への寵愛が深まるにつれ、玄宗は彼女の一族までもを取り立て、次々と要職に就けていきました。その中のひとりが、楊国忠(ようこくちゅう)です。李林甫がやがて権勢を失うのに従って力をつけた彼は、同様に専横するようになっていきました。
ただ、この時現れたのが、安禄山(あんろくざん)という男。彼は異民族の血を引く武将で、玄宗と楊貴妃にうまく取り入って節度使となり、あっという間に政権の中枢に存在感を発揮するようになりました。
ただ、楊国忠は安禄山の台頭に危惧を抱き、玄宗に讒言をします。これで両者の関係は悪化し、755年、ついに安禄山の反乱が起きてしまったのでした。
最愛の女性に死を命ずる
節度使に任命され、多くの兵を得ていた安禄山は、大軍と共に都・長安へと攻め寄せてきました。これには玄宗もどうすることもできず、彼が選んだのは、都を捨てて逃亡することでした。
しかし、これはつまり民衆を見捨てるのと同じこと。王朝を守るためとはいえ、生身の君主として、最もしてはならないことでした。
その不満は、玄宗や楊貴妃らを護衛して逃亡する兵たちの中にもたまっていき、馬嵬(ばかい/陝西省咸陽市興平市)に来たところで、「すべてこれは楊貴妃と楊一族のせいだ!」とついに爆発してしまったのです。
玄宗らに随行していた陳玄礼(ちんげんれい)は、楊国忠を暗殺すると、その一族も殺害し、玄宗に対し楊貴妃の死を求めてきました。
この要求を飲まない以上、玄宗は身の安全を確保できませんし、都に帰ることもできません。老いた皇帝は、泣く泣くその要求を受け入れ、楊貴妃に死を命じたのです。