17年間も中国に?若き日のマルコ・ポーロ
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マルコ・ポーロというと、15世紀から16世紀ごろ大航海時代の幕開け時に活躍したコロンブスやヴァスコ・ダ・ガマと同時期の人かと思いがちですが、実はちょっと違うんです。マルコポーロはどんな幼少時代を送り、どんな旅をしていたのでしょうか。マルコ・ポーロの生い立ちから辿ってみましょう。
実家はイタリア商人・裕福だった幼少時代
マルコポーロ(Marco Polo)は1254年、イタリアのヴェネチア(ヴェネチア共和国)で生まれたといわれています。
実家は中東貿易などで財を成した商家で、かなりのお金持ちだったのだそうです。
父やマルコの年の離れた兄弟たちも、貿易の仕事で家をあけることが多く、みんな海外を拠点にして活動をしていました。
ただ、幼少期のマルコ・ポーロについては、ほとんど記録が残っていません。
父や兄たちが商売のため中東や黒海周辺地域を回っている間に、マルコが生まれ、マルコの母が亡くなった、ということ以外は、詳しいことはわかっていないのだそうです。
そんな裕福でアクティブな家に育ったマルコ少年、子供のころから高い教育を受け、利発な少年だったと考えられています。
どんな時代だった?マルコ・ポーロが生きた13世紀とは
マルコポーロが生まれた13世紀半ば、巨大帝国がユーラシア大陸を席巻していました。
モンゴル帝国です。
モンゴル高原の遊牧民部族に端を発し、周辺部族を次々と制圧。やがて元という中国統一王朝を築き、その勢力は中央アジアを超えて中東やヨーロッパ方面へと向かって領地を拡大し続けたモンゴル帝国。とにかく強い。その勢力を止めることができる国はありません。
あまりに領土を広げすぎて、内乱が起きたり分裂したりすることもありました。
マルコポーロの少年時代は、かの有名なフビライ・ハンが継承争いを制圧しモンゴル帝国のトップに立った頃。中国大陸はもちろんのこと、中東、ヨーロッパ方面、東南アジアなど各地で侵攻を続け、巨大帝国の勢力を保ち続けていました。1274年と1281年には日本にも侵攻(元寇)。どこまで広げれば気が済むのか……これが当時の世界情勢でした。
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マルコ青年、父とともに東方へ旅に出る
1271年、17歳になったマルコ・ポーロは、父や兄弟たちに連れられて、商売を目的に東方へ旅に出ます。
往路は陸路を通り、中東から中央アジアを抜けて中国へ。長い長い大旅行の始まりです。
モンゴル帝国は脅威ですが、その一方、ヨーロッパにアジアの文化が流れるきっかけにもなっていました。ヨーロッパ人たちの東方への興味は日に日に強くなり、貿易の需要も高くなっていたのです。
当時のモンゴル帝国は、中国南部の王朝(南宋)を制圧し、中国全土を統一したばかり。首都を北京に移して「元」という中国統一王朝を開き、最も勢いに乗っている時期といってもよいかもしれません。
皇帝はもちろん、あのフビライ・ハン。彼はただ戦争をするだけでなく、西洋との貿易にも興味を持っており、情報収集にも積極的でした。
北京には、そんなフビライに謁見しようと、世界各地から使者や商人が訪れます。
マルコ一行も3年半もの長い旅の末、北京に到着。フビライに謁見したといわれています。マルコは21歳の立派な青年に成長していました。
マルコ、フビライ皇帝に17年仕える
豊富な旅の経験と実績を持ち、多国語を話すことができる利発で聡明なマルコを、フビライは大変気に入ったと伝わっています。
フビライはそんなマルコを自分の近くに置き、東南アジアの国々などを旅させ、各地の様子などを報告するよう命じました。
マルコはフビライに仕え、各地をまわって政治情勢や人々の暮らしぶりなどを調査。フビライに細かく報告したのだそうです。
その働きぶりは、時の権力者を満足させるものだったのでしょう。
あっという間に時が過ぎ、気が付けばイタリアを出てから17年もの歳月が流れていました。
そろそろ帰国を……と考え始めたマルコでしたが、フビライはマルコをなかなか手放さなかったと伝わっています。
偉大なる皇帝にそこまで頼りにされたら、悪い気はしないと思いますが……マルコがどう思っていたかは、定かではありません。
『東方見聞録』をはじめとするマルコ・ポーロの著書によれば、当時、イル・ハン国への嫁入りが決まったお姫様を迎えに来た使節団の護衛を依頼された、と記されています。
当時の中央アジアは反乱が多発しており情勢が不安定だったため、海を渡ってイル・ハンへ向かうことになっていました。これに同行する許可を得たマルコたち。イタリアへの帰国が叶いました。
1292年、マルコたちは中国を出発。シンガポールやインドを経由し、アラビア海へ。再びヴェネチアの地を踏んだのは1295年で、出発してから24年もの時が経過していました。
捕虜・収監・東方見聞録……帰国後のマルコポーロ
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若いころのマルコ・ポーロは、ヨーロッパではなく中国を拠点に、フビライ・ハンに仕えて働いていたと伝わっています。15000㎞にも及ぶ旅路の末、故郷に戻ってきたマルコ。その後の様子や晩年の暮らしぶりなど、旅から帰ってきた後のマルコについて解説します。