イギリスヨーロッパの歴史

5分でわかる天才「ニュートン」の生涯ー名言や性格は?幼少期は?わかりやすく解説

2-1.天才ニュートンの学生時代

町に寺子屋みたいな教室がぽつぽつあり、聖書が読めればいいという教育でした。ニュートンが10歳の時に継父の遺産を得たお陰で、グランサムにある上の学校へ12歳で進学します。

下宿先はハナの友人で薬剤師のウィリアム・クラーク氏の家。ニュートンは、薬局が大好きでした。薬の調合や独自の薬作りなど、率先して手伝いをしています。化学に目覚める環境だったため、後に研究する錬金術の基礎作りができました。下宿先の屋根裏に『自然と人工の不思議』を持ち込み、絵が好きだったニュートンは壁いっぱいに本から導き出したアイディアを書いていたようです。

それだけでは飽き足らず、材料を調達し本に書いてある道具などを揃え実際に作っています。ニュートンが10代で、コピーながらも水時計を作った話は有名です。彼の進んだキングス・スクール(資料に残っている校名)は、非常に教育熱心で数学などカリキュラムも充実していました。

2-2.気弱でいじめられっ子だった

ニュートンは大人しく陰気で無口だったとか。教育熱心な学校だったため、何事にも成績が優先される校風でした。田舎から出てきたばかりのニュートンは、劣等生で級友からもバカにされていました。そんな中、成績のいい生徒の一人と喧嘩になり、ボコボコに殴って負かせたことで自信を付けたのです。そこから勉強でも認められ、ビリだった成績もトップになったと伝わっています。

ようやく勉強の面白さを知ったニュートンに、母からそろそろ家の仕事を手伝ってほしいと手紙が届き、退学をして家に戻りました。労働より知的なことが向いていたニュートンは、農作業をさせても全く熱心ではなく、母はニュートンが学校に戻りたがっていると察していたようです。そんな時、キング・スクールの校長が、ニュートンを復学させるよう母に頼んでいます。学費などの免除も申し出ており、校長はニュートンの才能に気がついていたようです。

2-3.ケンブリッジ大学への進学

歴史ある名門校の、ケンブリッジ大学へ19歳で進学しました。ハナが学費を出し渋ったため、給費生という扱いでした。大学に入り遊びたい気持ちを抑えたニュートンは、生まれながらの負けん気の強さから皆を見返し成績優秀者となり、王室と強い結びつきがある、ケンブリッジ大学内のトリニティ・カレッジ(学寮)に入ります。でも、お金のなかったため給費生として、教員たちの食事を給仕するなどの雑用をしながら学んだのです。

高等数学を独学で身に付け、数学ではニュートンの右に出るものはいません。数学の才能を認められていたニュートンは、ヘンリー・ルーカスの寄付で招かれた高名な学者アイザック・バローというルーカス教授職から、直接指導を受けるという夢のような厚遇を受けました。もちろん、他に数学に秀でた者もいなく、次世代のルーカス教授職をニュートンが引き継いでいます。

ちょっと雑学

ニュートンが入学した頃のトリニティ・カレッジは清教徒革命の標的となり、廃れていました。追放されていた教員たちが、王政復古により呼び戻されつつあった頃のようです。

2-4.ニュートンの大学生活

給費生という立場もあり、あまり贅沢はできませんでした。当時大学の周辺には、居酒屋や遊び場がたくさんあり、学生にとっては誘惑のたまり場だったのです。ニュートンは、給費生に見られるのが嫌で、お金のほとんどは本につぎ込むも、洋服にも結構使っていたとか。でも、バカ騒ぎする友はいなかったため、遊びに行くことはめったになかったようです。

学校の勉強は古臭く興味がわかなかったとか。この頃から自然哲学者になる夢を抱いています。学校の勉強はほどほどにして、時間を作っては、宇宙や光、物質についての疑問を解き明かすことに時間を使ったようです。だから、優秀な成績でもなく規定通り博士号を取得しています。

3.ニュートンの大発見とは?

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冒頭でも触れました、「万有引力」や「微分積分法」など、20代で世紀の大発見を成し遂げます。ペストの大流行で実家に戻っていた頃に、ほとんどの研究をすすめたようです。ニュートンは疑り深い人間で、「発見を人に盗まれるのでは?」と心配し、すぐに公表しませんでした。

3-1.ペストの流行は転換期に

ヨーロッパで最も恐れられていた伝染病の「ペスト」が、ロンドンで大流行しました。ロンドンから100kmに位置するケンブリッジでも、流行が懸念されカレッジが閉鎖し、大学卒業と同時にニュートンは故郷に戻りました。この時期は、1665年4月~1667年4月で約2年に及びます。せっかく学士号を取ったのに、大学卒業と同時にプー太郎になったのです。

でも、負けず嫌いのニュートンは、実家で即研究に没頭し、この短い期間に「微分積分法」と「万有引力」という、前人未到の大発見を成し遂げました。20代そこそこで数学においては、この時代の誰よりも秀でていたのではないでしょうか。

先ほどもお話しした通り、ニュートンはこの大発明を小論文に纏めるも長い間伏せられました。ニュートンは、大学在学中に既に研究材料に目星を付けており、図書館もない田舎暮らしでも研究を続けられたと考えられています。

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