室町時代戦国時代日本の歴史

謀略家と気前の良さ…そのギャップがそそられる謀聖「尼子経久」の生涯とは

自身は無欲の人

謀略に生きた経久ですが、その性格は実に無欲だったと伝わっています。家臣に持ち物をほめられると、それを何でもあげてしまっていたそうで、冬でも薄い着物一枚で過ごしていたとか。

ある時、家臣が「さすがにこれなら『あげる』とは言い出すまい」と思い、庭の立派な松の木をほめたことがありました。すると経久はなんとその松を掘り起こして与えようとしたのです。しかし周りの者に止められ、渋々その場は断念しました。

ところが数日後、松の木をほめた家臣のもとに大量の薪が届けられたのです。経久は松の木を切り、それを薪にしたのでした。

謀略で尼子氏を栄えさせた経久

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尼子氏を中国地方の雄へと押し上げた尼子経久。謀略で下剋上を果たした彼ですが、凄惨な印象がないのは、彼自身が無欲の人だったからだと思います。ただ、そんな彼でも息子の離反や独立心の強い国人たちを抑え込めなかったことは、当時の中国地方がいかに拮抗した勢力図の上に成り立っていたかがわかりますね。戦国時代を生き抜く難しさも同時に感じられる、経久の生涯でした。

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