5分でわかる薙刀の歴史ー誰が使ってた?有名な薙刀は?女性の武器になったのはなぜ?わかりやすく解説
2-8.なぜ薙刀が「女性のための武器」になったのか?
また剣や槍などとは違い、薙刀は振り回すだけで相手にダメージを与えることができます。要は腕力や膂力が要らないということですね。
振り下ろすだけでなく、刃先は遠心力を使って相手の下半身や足を薙ぎ払うのに向いていますから、非力な女性でも鍛錬さえ積めば扱いやすかったといえるでしょう。
過去に存在した武勇ある女武者に薙刀を持たせ、後付けで解釈することによって「自分もあんなふうに強くなりたい」という願望を女性修練者に植え付けたのではなかったでしょうか。
3.現代に伝わるスポーツとしての「なぎなた」
古くは武士の主力武器として、また武家の女性の嗜みの武芸として発展してきた薙刀術ですが、現在にも競技やスポーツという形で連綿と受け継がれています。ここで「スポーツとしてのなぎなた」を解説していきましょう。
3-1.「なぎなた」の服装や武器防具とは?
実はなぎなたの服装や防具の種類は、剣道のそれとほぼ同じになります。けいこ着の上から防具を付ける形になりますが、剣道と唯一違うのが【脛当て】を付けるということ。
剣道にはない脛(すね)への攻撃が許されているので脚部にも防具が必要になるのです。
そして面も剣道のそれと似た形のものですが、横方向に顔を向けることができ、左右方向へよりスピーディーに動けるようになっていますね。ちなみに演技競技の場合は防具は付けません。
武器に関しては、薙刀の形を模した木刀を用い、長さは2.1メートル以上もあります。切っ先にあたるタンポは長さ5センチ、幅26センチと規定で厳格に決まっているため安全対策にも配慮がなされていますね。
3-2.二種類ある競技
なぎなたには競技種目が2種あり、それぞれ「試合競技」と「演技競技」があります。
「試合競技」とは、2人の協議者が、あらかじめ定められた部位(面、小手、胴、頸、咽喉)を確実に早く打突して勝負を競う競技です。なぎなたを自由自在に操作しながら打突部位を打ったり突いたりします。ちなみに試合競技には、個人試合と団体試合の2種類がありますね。
基本的に3分間の3本勝負で行い、2本先取したほうが勝ちとなります。
いっぽう「演技競技」は全日本なぎなた連盟の形、又はしかけ、応じわざの中から指定されたものを2人1組の演技者によって行い、その技の優劣を競い合う競技です。空手でいうところの演武と同じと考えて良いかも知れません。
試合競技とは違って、演技者双方の姿勢、服装、態度、発声、呼吸と気持ちが調和しているか?気迫に満ちた打突をしているか?見る人に感動を与えたか?などの点が重要視されます。
4.現存する有名な薙刀
作者不明 – From “Heiji Monogatari Emaki” (Heiji story illustration scroll) (13th century) (Museum of Fine Arts, Boston collection). link here., パブリック・ドメイン, リンクによる
最後に「名物」と呼ばれる現存する薙刀を紹介していきましょう。各地の博物館に所蔵されていますので、ぜひ現物を鑑賞して頂きたいですね。
4-1.九州で活躍した武将の薙刀【権藤鎮教(ごんどうしずのり)】
この薙刀の由来には二つの説があります。
一つは筑前黒田家の家臣だった権藤行澄が持っていたとされる説。朝鮮出兵の折り、突然襲い掛かってきた虎を権藤が薙刀を振るって仕留め、主君の黒田如水を救ったそうです。
もう一つは九州の大名高橋元種の家臣だった権藤種盛が所有していたという説。関ヶ原の戦いが行われている最中、主君の留守を守っていた種盛は敵に攻められますが、奮戦して敵を数多く討ち取ります。
しかし衆寡敵せず種盛は自害。薙刀も奪われてしまいました。しかし戦後、高橋元種の元へ城が返還された際、この薙刀は元種へ贈られたそうです。現在は福岡市博物館に所蔵されていますね。