5分でわかる薙刀の歴史ー誰が使ってた?有名な薙刀は?女性の武器になったのはなぜ?わかりやすく解説
- 1.薙刀の歴史をひも解いてみよう!
- 1-1.日本最古の薙刀?奈良時代の「手鉾」
- 1-2.薙刀が頻繁に使われるようになった平安時代~鎌倉時代
- 1-3.集団戦法が広まるにつれ衰退していく薙刀
- 1-4.古武道と復活し、現在にも伝わる薙刀術
- 2.なぜ薙刀は女性のための武器となったのか?
- 2-1.源義仲と共に戦場で活躍した女武者【巴御前】
- 2-2.巴御前の凛々しい活躍ぶり
- 2-3.常山城と運命を共にした女軍の大将【鶴姫】
- 2-4.鶴姫の雄姿を表現した「備中兵乱記」
- 2-5.薙刀をふるって謀反人を成敗した武勇の女性【甲斐姫】
- 2-6.時代を超えて語り継がれた甲斐姫の武勇
- 2-7.薙刀の使い方が女性に合っていた?
- 2-8.なぜ薙刀が「女性のための武器」になったのか?
- 3.現代に伝わるスポーツとしての「なぎなた」
- 3-1.「なぎなた」の服装や武器防具とは?
- 3-2.二種類ある競技
- 4.現存する有名な薙刀
- 4-1.九州で活躍した武将の薙刀【権藤鎮教(ごんどうしずのり)】
- 4-2.女性では扱えない巨大薙刀【大薙刀(無銘伝法城寺作)】
- 4-3.武田信玄が奉納した薙刀【大薙刀(銘備州長船兼光一振)】
- 凛とした美しさ際立つ薙刀
この記事の目次
1.薙刀の歴史をひも解いてみよう!
薙刀は基本的に槍のような長い持ち柄に太刀のような刀身を組み合わせたものです。しかし、中国から伝わったものなのか?それとも日本独自のものなのか?その起源は諸説あってはっきりとしていません。しかし戦いの連続だったともいえる日本の歴史の中で、薙刀の役割は非常に大きなものでした。まずは薙刀の歴史と変遷を見ていくことに致しましょう。
1-1.日本最古の薙刀?奈良時代の「手鉾」
奈良市にある東大寺には、聖武天皇や皇后ゆかりの美術工芸品を収蔵した【正倉院】という建物があります。その中に残る所蔵品の中に【手鉾(てぼこ)】というものがあり、おそらくそれが日本最古の薙刀ではないかとされているのです。
これまで手鉾の使用方法が皆目わからず、おそらくは祭祀の際に用いられていたのでは?とされてきました。ところが平成26年、テレビ番組の企画の中で手鉾を忠実に再現するために鍛錬が行われ、ようやくそれが武器だということがわかったのです。
実際に手鉾の斬撃実験が行われた結果、有効性のある武器だということが認められました。それは長い柄のある包丁のようでもあり、ナイフのようでもある不思議な形状でした。
やがてそれが改良されて日本独自の薙刀へと変わっていったと考えてもなんらおかしくはないのですね。
1-2.薙刀が頻繁に使われるようになった平安時代~鎌倉時代
やがて進化を遂げた薙刀は、平安時代後期には今日私たちが良く知る形状になっていきました。古くは「長刀(ながなた)」と書いたらしいのですが、打刀の発達に伴って差別化を図るために「薙刀」へと変化したそうですね。
【藤原純友の乱】や【平将門の乱】を描いた絵巻物にも薙刀の姿はしっかりと描写されていますし、牛若丸と出会った武蔵坊弁慶が薙刀をメインの武器にしていたことでも有名です。
平将門の首を薙刀に突き刺して運ぶ藤原秀郷たち(俵藤太絵巻より)
源平の戦いや鎌倉時代の頃は、互いに名乗りを上げながら戦う個人戦が主体でしたから、薙刀は大いに有効活用されていました。
相手の太刀よりも遠い間合いで戦えますし、「斬る」「突く」「石突(刃先の逆の端の固いところ)で叩く」という使い方が同時に可能だったため重宝されたそうです。
1-3.集団戦法が広まるにつれ衰退していく薙刀
武者同士の一騎打ちから集団戦法へと変わっていく南北朝時代以降、薙刀は徐々にその地位を【槍】に奪われていくことになりました。
薙刀は基本的に振り回すことによって効果を発揮しますが、槍の場合は集団で構え、穂先を揃えることで隙の無い圧力を生み出します。いわゆる【槍衾(やりぶすま)】というのがそれですね。
槍を使うための熟練した技量は必要なく、あまり訓練を受けていない者にとっても武器として有効なため、槍の方が主役になっていきました。
ちなみに槍の場合、その重みとしなりで相手を叩くことによって大きなダメージを与えることができるものの、薙刀の場合その刀身は斬撃にしか向いておらず、頑丈な鎧兜を身に付けた武者に対してはあまり力を発揮できなかったということが言えるのかも知れません。
1-4.古武道と復活し、現在にも伝わる薙刀術
長い戦乱の時代が終わり太平の世を迎えると、それまで実戦で使われていた剣や槍は無用の長物となっていきました。しかし精神修養の目的で剣術や槍術、弓術が発達し、武士たちの心の拠りどころとなっていったのです。
薙刀もまた【薙刀術】として復活を遂げ、「直心影流薙刀術」や「天道流薙刀術」など多数の流派が生まれ、「女子でも扱える武器術」として発展することになりました。
ご存知の通り武士の世が終わり、明治以降になっても日本古来の古武道として薙刀術は続いていきました。薙刀は学校教育における女子体育の中の武道として発展するようになりましたし、戦後は薙刀から「なぎなた」へと名を変え、昭和30年には「全日本なぎなた連盟」が結成されて、スポーツとしてのなぎなたが広まっていったのです。
平成2年、「国際なぎなた連盟」が発足し、現在では世界の14ヵ国が加盟し競技人口も増え続けています。
2.なぜ薙刀は女性のための武器となったのか?
日本の戦いの歴史の中で、女性でありながら勇敢に戦った女武者たちがいました。確実な史料はないのですが、その言い伝わるところによると彼女たちの多くが薙刀を振るって敵に立ち向かっていったということです。そこで凛々しくもあり可憐な彼女たちの姿を紹介していきましょう。また、なぜ薙刀が「女性のための武器」となったのか?考察していきたいと思います。
2-1.源義仲と共に戦場で活躍した女武者【巴御前】
平安時代末期の源平争乱の頃、源頼朝よりいち早く平氏を都から追い落として上洛を果たした源氏の大将がいました。彼の名は源義仲といいました。
彼は現在の長野県木曽地方の出自でしたが、そんな彼の側に常に寄り添っていた女武者こそ、豪勇を謳われた【巴御前(ともえごぜん)】だったのです。女性でありながら180センチを超える堂々たる体躯と豪勇ぶりにも関わらず、その容姿は女らしい気品に満ちたものだったそう。
「長に余る黒髪を、後へさと打越て、額に天冠を当て、白打出の笠をきて、眉目も形も優なれけり。歳は二十八とかや。」
出典元 「源平盛衰記 巻三十五」より
鎧兜を脱げば、風になびくロングヘアーと美しい顔立ちが浮かんできそうですね。