世界への波及
上にも書いた通りアメリカが第一次世界大戦後に世界最大の債権国となっていたため、アメリカの経済が破綻したことが必然的に世界経済の大混乱へとつながっていくことになります。
次はそんな世界の恐慌について見ていきましょう。
ドイツ
アメリカ以外で世界恐慌によって一番被害を受けた国はどこかと聞かれると一番と言えるのがドイツでした。
ドイツは第一次世界大戦の敗戦によってイギリス・フランスなどから国家の総生産の何年分という天文学的数字な賠償金を請求されており、さらにはドイツの工業の要であったルール工業地帯をフランスに占領されたことによってドイツの経済は崩壊。
パンを買うだけでもトランクいっぱいのお札がなければ支払うことができないほどのハイパーインフレーション状態となり、ドイツは賠償金の支払いが実質的に不可能な状態となっていました。
しかし、これを見かねたアメリカによってドイツの経済は建て直されていき、ドイツのハイパーインフレーションも治ったと思われていた直後に起こったのが世界恐慌。
アメリカの資本はドイツから次々と撤退したおかげで復興の兆しが見えていたドイツの経済は再びどん底に突き落とされることになり、失業者は40%を超える勢いだったそうです。
そして1933年とある人物がドイツの経済を立て直すという公約を立ててドイツ首相に任命。
その人物こそがヒトラーだったのです。
こちらの記事もおすすめ
今さら聞けない!ヒトラーってどんな人物?政権掌握までの生涯と思想を徹底解説! – Rinto~凛と~
イギリス
イギリスは世界恐慌によってシティ・オブ・ロンドンが崩壊。即座に投資家たちが売りはらう事態となってしまい、イギリスの経済を揺さぶることになります。
この当時内閣を組織していたマクドナルドは労働党という大きな政府と市民の生活の保護を目的とした政党出身であったのにもかかわらず、失業保険の削減など緊縮財政を行なったため、労働党から除名。そのかわり保守党との挙国一致内閣を組織するようになりました。
マクドナルド内閣は1931年に金本位制の放棄を行い、なんとか財政を立て直そうとするのですが、イギリスは広大な植民地を持っていたが故にその土地のインフラ整備なども自国で賄わなければならず財政は苦しい状況が続いていきます。
イギリス政府は植民地に対してウエストミンスター憲章という自治領に対してイギリスと同じような権限を与えるなどの改革を行い、イギリス連邦を形成していくようになりますが、その一方でポンドを流出しないためにブロック経済を構築するようになりました。
フランス
フランスはこの世界恐慌によってとどめを刺される事態となってしまいました。この当時フランスは1320億マルクをドイツに要求し、さらには1923年にルール地方を占領するなどやりたい放題だったのですが、ドイツが賠償金が支払えない状態となるとフランもインフレーションが起こるようになっていきます。
しかし、フランスは迅速な経済改革もあってか1931年には不況から脱出。財政を立て直すことに成功しますが、第一次世界大戦が終わってまもないフランスで起こった恐慌によってフランスは左傾化。これによってフランスの政治混乱が加熱することにもつながっていくのです。
ソ連
世界では恐慌にあえぐ人々が続出していましたが、そんな人々をよそ目に経済発展していた国がありました。社会主義を掲げているソ連です。
ソ連の社会主義はこの恐慌を防ぐために国家が全ての生産を管理するというものだったので恐慌とは無関係。1930年にはソ連はイギリスを抜いて世界第2位の経済大国へとのし上がることになりました。
また、スターリンの五カ年計画による重工業化や、恐慌を利用してソ連はプロパガンダを出しまくり資本主義社会の知識人をソ連を招くことに成功しましたが、その裏には社会主義に反抗した人々の犠牲の上に成り立っている状態だったのです。
こちらの記事もおすすめ