日本の歴史江戸時代

永久保存版!全部言える?徳川将軍家・15代将軍全員の名前と功績

4)4代将軍:徳川家綱(幼くても将軍が務まるほど徳川は安泰)

病死してしまった3代将軍に代わって征夷大将軍となったのが、家光の長男・徳川家綱(いえつな)です。

将軍職に就いたときは、まだ11歳でした。

幼い将軍。今までなら、幼い将軍を挟んで家臣たちが対立関係に陥ったり、地方でくすぶっていた大名たちが半旗を掲げたり、不穏な空気が流れてもおかしくありませんが、家綱の時は様子が違っていました。例え幼少の少年であったとしても、徳川将軍に就くことはできる。将軍が幼くても徳川家は安泰。周辺の大名たちにアピールする絶好の機会だったのです。

不穏な動きが皆無だったわけではありませんが、そこはそれ、徳川家康を支えた家臣たちの子孫がしっかりとガードします。

在位期間は1651年~1680年。長い在位となりましたが、若くして将軍になったため、享年40歳。早すぎる死でした。

5)5代将軍:徳川綱吉(犬を大事に!で有名なあの将軍)

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綱吉(つなよし)は3代将軍家光の四男家綱の弟にあたります。

徳川将軍家に詳しくない方でも、この名前はご存じでしょう。「生類憐みの令」を発布し、後の世に「犬公方」とのあだ名まで付けられた変わり種の将軍様です。

綱吉はほかにも「?」と思われるような奇妙な政治・政策を次々と行っていきます。徳川幕府が安泰だったからこそできたことかもしれませんが、幕府がどんどん窮屈で堅苦しい組織になっていったと見ることもできるでしょう。

この時代は、近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉など様々な文化人が活躍。景気もよく、元禄文化と呼ばれる文化が花開きます。

しかし、この時代だからこその歪みや軋轢も多々生まれました。あの「赤穂浪士」の一件も、綱吉の時代に起きています。

在位期間は1680年~1709年。病にて64歳でこの世を去っています。

6)6代将軍:徳川家宣(遅咲きの苦労人)

徳川家宣(いえのぶ)は家光の孫(家光の三男の息子)にあたります。

一旦は甲府藩の藩主となりますが、5代将軍綱吉が子宝に恵まれなかったこともあり、43歳のときに綱吉の養子に。綱吉が亡くなって将軍職に就いた時には48歳になっていました(宝永6年)。

就任後は綱吉が敷いた生類憐みの令などの政策を一部凍結し、新井白石などを登用して様々な改革を慣行。しかし就任3年後、51歳でこの世を去ります。在位期間は1709年~1712年。

7)7代将軍:徳川家継(最年少で就任し最年少で死去した将軍)

家宣の四男として生まれ、7代将軍となったのが徳川家継(いえつぐ)です。

就任時の年齢は5歳。そしてわずか8歳で亡くなっています。在位期間は1713年~1716年

結果、家継の死により徳川家康から続いた本家の血筋は途絶えることとなります。

8)8代将軍:徳川吉宗(紀州から来た暴れん坊)

初代将軍徳川家康の十男、徳川頼宣から代々、徳川御三家として本家を支え続けてきた紀州藩(現代の三重県や和歌山県)。紀州5代目当主である吉宗に、徳川8代将軍就任の話が舞い込んできました。

時代劇「暴れん坊将軍」でお馴染みの、あの吉宗です。

御三家から迎えられる初めての将軍。吉宗は紀州藩で培った政治能力を幕政に取り入れ、享保の改革を主軸として数々の改革を行います。市井の意見を聞くための「目安箱」を設置したことも。分家出身の強みとでも言いましょうか、幕府のため庶民のため、とにかくバリバリ働きます。

在位期間は1716年~1745年在位中に将軍職を長男・家重に譲り、自身は大御所として実験を握り続けました。享年68歳。

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