田園風景と見事にマッチ・舟塚山古墳(茨城県石岡市)
豊かな河川の流域、のどかな田園地帯の一角に見えるこんもりとした丘。長さ186m、茨城県内で最も大きな前方後円墳が石岡市にあります。
後円部分は三段式になっていて、極端なクビレ状ではなくコロンとかわいらしい形。高いところでも10mほどの高さで、なだらかなゴルフコースのようです。芝がきれいに整えられていて、上空から見ないと前方後円墳であることがわからないかもしれません。
後円の端の部分がこんもりと木々に覆われていて、手前に小さな鳥居と、小さな石段を上ったところに社殿が。じゃっとした帽子をかぶった人型のような……ちょっと不思議な感じです。
田畑の中に溶け込み、地形の一角を担っている前方後円墳。周囲の景色も美しく、心が和みます。
桜の名所としても有名・弘法山古墳(長野県松本市)
長野県のほぼ中央部、丘陵地帯に位置する前方後円墳。古墳時代の前期(3世紀後半頃)、東日本最古参の古墳とも言われている弘法山古墳は国の史跡である一方で、市民憩いの場としても知られています。
長さ66m、後円部分の高さはおよそ6mほどで、細長い丘のような形状。調査により内部からは勾玉や鉄斧などの出土が核にされていますが、それ以前は誰も古墳だとは思っていなかったのだそうです。
墳丘の周りに4000本にも及ぶ桜の木が植えられており、春には盛大に桜祭りが行われます。おそらく3世紀頃にこの地域をおさめていた有力者が埋葬されているものと思われますが、市民をはじめ遠方からも多くの人がやってきて春の訪れを楽しむスポットに。1600年以上も昔にこの地にいたと思われる有力者のお墓が現代の人々の安らぎの場になっているとは、なんとも感慨深いです。
豊かな田園地帯に残る・横瀬古墳(鹿児島県曽於郡)
鹿児島県の東側に位置する平地部分に、江戸時代からすでにその存在が知られていた、史跡としても歴史のある古墳があります。横瀬古墳(または横瀬大塚山古墳)。5世紀半ばごろに築かれたものといわれています。
長さおよそ130m、高さは15mほど。周囲に建物が少ない、平らかな水田地帯にあるせいか、威圧感は感じませんが、九州でも屈指の大きさを誇る巨大古墳です。
前方側に木が生い茂り、周囲の水田の緑と相まって美しい風景を作り出しています。できれば遠くから、こんもりと盛り上がって見える墳丘の様子を、水田越しに眺めていただきたい。不思議と「ああ、あれ、前方後円墳だな」と古墳初心者でもわかる、おおらかで優しい雰囲気を持った古墳です。
ホタテみたいな古墳・野毛大塚古墳(東京都世田谷区)
厳密には、古墳の形状の分類として「帆立貝式古墳」という分類名があり、こちらの古墳は前方後円墳ではなく帆立貝式古墳に属します。
直径およそ66mの円形の墳丘の端っこに小さな前方がくっついた、柄の短いしゃもじのような形をしたかわいらしい古墳。長さは合計82mにもなります。帆立貝式古墳の中ではかなり規模が大きいものです。
場所は第三京浜の玉川ICのすぐ近く。多摩川にほど近い、等々力渓谷公園などの自然が残る地区。この一角にある公園内に、まるで公園の遊具のひとつのように佇んでいますが、この地域の有力者を埋葬したものと考えられています。
離島に残る巨大古墳・双六古墳(長崎県壱岐市)
九州の北西、福岡市からおよそ80㎞ほど離れたところにある離島・壱岐島。この島でも古墳が多数見つかっており、その中には前方後円墳も含まれます。
そのうちのひとつ、双六古墳(そうろくこふん)は長さ約90m。長崎県で最も大きな古墳といわれています。
壱岐の古墳は全体的に細長いものが多く、円の直径が比較的小さめ。墳丘はお椀を伏せたようなぽっこりとした形をしていて高さを感じます。
横穴式石室は柵でふさがれていて中の様子を見ることはできませんが、前室壁面にはゴンドラ形の線刻画が描かれているのだそうです。
前方後円墳の見学は楽しい!ウォーキング気分で古代の息吹を感じたい
前方後円墳と一口にいっても、形や大きさ、土盛りの高さや形状などに違いがみられます。また、住宅地や道路の一部となって削られているものもあるので、古墳見学が都市の歴史を知るよい機会にも。あなたの街の近くにも前方後円墳はありますか?あったらぜひ、見学してみてください。
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