日本の歴史飛鳥時代

「飛鳥時代」とはどんな時代?わかりやすく解説ー聖徳太子・蘇我氏・「倭」から「日本」へ

もっと知りたい!飛鳥時代の息吹を感じる遺跡・スポットとは?

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先史時代から古代国家形成へ、目まぐるしく動いた飛鳥時代。人々の暮らしも大きく変わっていったに違いありません。ただ、何せ1500年近く前のことなので、残されている遺跡も遺構も少なく、限られています。それでも、奈良県の明日香村周辺では、飛鳥時代に作られたとされる遺跡がいくつも見つかっており、今も研究が進められているのだそう。直に見学できるスポットはあるのでしょうか?おすすめポイントをいくつかご紹介します。

日本初の本格的な都の痕跡・藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)

奈良県橿原市(かしはらし)には、持統天皇時代に築かれた藤原京の中心となっていた藤原宮の跡が現在も残されています。694年に遷都してから文武天皇、元明天皇と三代・16年に渡って使われ、天皇中心の中央集権国家を確立させた藤原京。東西5.3㎞、南北4.8㎞の広さの中に碁盤の目のように道が張り巡らされ、その中心にあったのが、天皇の住居(内裏)や儀式などを行う施設のあった藤原宮でした。

残念ながら現在では、藤原京の都市全体の様子を知ることは難しいですが、平城京や平安京よりずっと大きな都市が形成されていた可能性が示唆されているそうです。

目立った建造物が建っているわけではなく、一見、単なるお花畑が広がっているだけのように見えますが、その昔、ここに天皇が暮らし、多くの人々が行きかう町が作られていたとわかると感慨深いものがあります。

近鉄大和八木駅からバスで20分ほど。少し離れたところにある「藤原宮跡資料室」と合わせて見学すると、藤原京に関する知識が深まります。

埋葬されているのは蘇我馬子?石舞台古墳

明日香村を代表する観光スポットともなっているのが、巨石を積み上げて作られた古墳「石舞台古墳」です。

建設の目的や埋葬者は明らかになっていませんが、相当な権力者の墓ではないかとの説も。飛鳥時代初期、天皇をもしのぐ権力を持っていた蘇我馬子が埋葬されているのでは?とも言われています。

積み上げられた巨石は30個にもなり、いったいどうやって運んだのか、積み上げたのか、これが築かれた7世紀ごろこの辺りはどのような様子だったのか……。想像力を掻き立てる要素がたくさん。一番大きな石は77トンにもなるといわれています。

周辺は公園になっていて、子供たち向けの遊具も充実。休日ともなると、家族連れてにぎわいます。

すべてはここから!蘇我馬子が建立した「飛鳥寺」

飛鳥時代の幕開け、物部氏との争いに決着がついた後に蘇我氏が建立したとされる本格的な仏教寺「法興寺」。日本最古の寺院として、今も大切に保管されています。建立当時、朝鮮半島から僧侶や大工を招いて技術を学びながら建てたものなのだとか。

残念ながら、創建当時の建物の多くは火災などで失われていますが、礎石などは飛鳥時代のもの。

ご本尊である釈迦如来像は飛鳥大仏の愛称で親しまれており、日本最古の仏像とされています。

近鉄橿原神宮前駅から周遊バスで15~6分。駐車場もありますが、ほかのスポットと合わせて巡るならバスやタクシーがおすすめです。

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