日本政府の動きと司法権の独立
こうして暗殺未遂事件によってロシアが日本に対して報復と考えるようになると、政府としてもある程度の対策が考えられるようになります。
一歩間違えるとこれまで独立を保っていた日本はロシアの植民地になる可能性が非常に高いですし、政府内では無理矢理津田三蔵を死刑にするという案が持ち出されるようになりました。
当時外務大臣であった青木周蔵は駐日ロシア大使に対して津田三蔵を皇室罪として裁くと密約しており、日本政府内でもこの当時最高刑が死刑しかない皇室や天皇に対して危害を加えた罪である大逆罪を適用して無理矢理彼を死刑にしようとしたのです。
しかし、この大逆罪にはロシア皇太子などの海外の皇族に対する対応は書かれていませんので、この頃は罪刑法定主義の道から外れてしまいます。
政府内では大混乱。当時の首相である松方正義や西郷従道内務大臣は大逆罪を適用して死刑にするように奔走しましたが、その一方で青木周蔵や井上馨は消極的ではありますが反対するなど政府内で二分する結果となってしまいます。
運命の裁判
こうして紛糾していく政府ですが、このことは司法権を持っている大審院(今の最高裁判所)に任されるようになります。問題は津田三蔵を無理矢理皇族に対する罪で裁くのかというところ。法の捻じ曲げは絶対にあってはならないことなんですが、ここでなんとかしなければ日本がロシアに攻められるかもしれない。まさしく国家か法のどちらかを選択することだったのですが、当時の大審院の院長だった児島惟謙は刑法に外国貴族に対する罪はないとして一般の殺人未遂である無期懲役という判決を下し、司法権は政府の圧力に屈することなく法に基づいて判決を下したのでした。
大津事件のその後
大津事件によってロシアは大激怒するかと思いきや、ニコライ皇太子がこのことに気にかけてくれたおかげで裁いてくれたのであればそれでいいという形となりこと無きを得ることになりました。それどころか、大津事件によって日本の司法権の独立が証明されたことは日本の近代国家が確立されたことと日本の法整備がちゃんとしているという証明となり、このことがきっかけで不平等条約の改正の後押しとなることになります。
司法権の独立の意義
こうして幕を閉じた大津事件でしたが、この事件は単なるロシア皇太子の暗殺事件という面だけではなく、日本の司法権の独立を象徴する事件として今に認知されていました。
昨今、法にかかわらず事件の犯人に対して死刑を要求する動きが見られているこのご時世ですが、そんな今だからこそ法のみに拘束される日本の司法のことを考えるべきだと思います。