4-4.上下関係に縛られた江戸時代のケース
中世と違って江戸時代という時期は、国の安定を図るためには、とにかく徳川家を頂点にした幕藩体制を敷き、身分制でガチガチに人民を縛るという手法が取られました。いわば「自由の否定」が率先されたのですね。
幕府がとにかく恐れたのが、「反乱」や「抵抗」や「自由」というワードでした。それらをさせないために積極的に儒教を取り入れて人民を洗脳し、「上の身分の者が絶対!反抗することは悪だ!」という思想を人々に刷り込んだのです。
藩主から命じられれば従容として切腹するのが武士の鑑と言われた時代、もしこれが戦国時代なら頑として従わず、反抗するか逃げ出すかのどちらかだったでしょう。だって主君に従うも従わないのも自由なわけですから。
4-5.江戸時代になって悪人扱いされてしまった理由
徳川幕府は「幕府は天皇から政治を委ねられていて、その幕府に逆らうことは天皇に逆らうことと同じこと。」といった感じで260年もの間、武士たちを統制していました。
とはいえ幕末にはもう化けの皮が剥がれてしまい、官軍の「錦の御旗」を見た瞬間に崩壊してしまったくらいですから、魔法はそんなに長くは続かなかったのですね。
そんな時代でしたから、過去に主君に逆らった有名武将たちも、軒並み悪のレッテルを貼られることになりました。
こちらの記事もおすすめ
邪魔者は暗殺して排除!策略に満ち満ちた「宇喜多直家」の人生を解説 – Rinto~凛と~
This pair of six-panel screens depicting the city of Edo (Tokyo) and its suburbs and the accomplishments of Tokugawa Iemitsu (the third shogun) provides rare historical material for the early Edo period. There are several theories regarding the date of their creation. Each screen measures 162.5 x 366.0 cm. – http://www.rekihaku.ac.jp/e_gallery/edozu/index.html, パブリック・ドメイン, リンクによる
先ほどの逸話に出てきた松永久秀、この記事の主人公である斎藤道三、下克上でのし上がった宇喜多直家など、まさに悪の権化のような扱いを受けたのです。
徳川幕府の創始者である徳川家康が、主筋の豊臣家を滅ぼした事実をそっちのけで「人の上下の倫理」を説くなど、ちゃんちゃらおかしい話なのですが、当時は大まじめで語られていたのですね。
もう一度、正しい評価を下してあげたい歴史上の人物たち
By 立花左近 – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link
最近の歴史研究などで、その評価がまるっきり変わってしまった人物も多くいますね。松永久秀などはその典型で、主君を殺した確証もないし、大仏殿が焼けた時も陣を敷いた敵側の過失ですし、足利将軍暗殺の時もその場にはいなかったとされています。斎藤道三にしても、後世に書かれた軍記本や逸話集、あるいは小説などによって、そのイメージが捻じ曲げられている節が大いにありますね。いつか正しい評価を下してあげたいものです。
こちらの記事もおすすめ
【戦国時代】下克上を成し遂げた4人の梟雄 – Rinto~凛と~