室町時代戦国時代日本の歴史

天草四郎を指導者として立ち上がらせた「島原・天草一揆」についてわかりやすく解説

関ヶ原以降の島原・天草

秀吉の死後、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康や江戸幕府もキリスト教禁止の方針を継続・強化しました。家康の死後の1622年に長崎で宣教師らが処刑される元和の大殉教が代表例と言えるでしょう。

江戸初期には島原・天草の領主も変わりました。島原では有馬晴信の子の有馬直純は幕府の方針に従いキリシタンを弾圧します。有馬氏が日向国(宮崎県)延岡に移った後、島原藩主として島原をおさめたのは大和から移った松倉重政でした。

一方、天草地方を治めていた小西行長は関ケ原で敗れて改易。天草の地は唐津藩主寺沢広高の飛び地とされます。これにより、島原・天草の人々はキリスト教の弾圧に躊躇しない藩の統治を受けることとなり、信仰の弾圧は激しくなりました。

島原・天草一揆と天草四郎

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島原藩の松倉重政と天草を支配した唐津藩の寺沢広高はキリスト教を厳しく弾圧。さらに、農民たちの限界を超える重税を課します。我慢の限界を迎えた農民たちは地侍とともに蜂起。島原・天草一揆が始まりました。一揆勢が信仰の旗頭とすべくリーダーに選んだのは無名の若者だった天草四郎。四郎たちは幕府の圧倒的軍事力に必死に抵抗します。島原・天草一揆を鎮圧した幕府は、第二の島原・天草一揆を防ぐため、キリスト教を徹底的に弾圧しました。

島原藩松倉氏、唐津藩寺沢氏による悪政

有馬直純に代わって島原半島の日野江城に入ったのは松倉重政でした。関ヶ原の戦いなどでの功績が認められ、有馬氏の旧領であった島原の地を与えられます。

1618年、重政は原城と日野江城を廃止し、新たに島原城を築城。島原城は松倉氏の財政能力を超える城だったため、重政は農民に重税を課しました。また、本当は4万5千石しかない収入を10万石と幕府に申告し、不足分を農民からしぼりとります。

重政の死後、跡を継いだ勝政はさらに過酷な取り立てとキリスト教弾圧を繰り広げました。キリシタンへの弾圧は寺沢氏が支配する天草でも強められます。島原や天草の農民たちは領主による悪政に苦しみ、我慢の限界に達しつつありました

一揆の勃発と指導者となった天草四郎

過酷な取り立てに苦しんでいた島原の領民たちは、かつて有馬氏に仕えていた元武士たちを中心に結束。天草地方に大量に流れ込んでいた旧小西、旧加藤の浪人たちも組織化して反乱の準備を整えます。

このとき、指導者として選ばれたのが16歳の少年だった益田四郎時貞。のちに、天草四郎とよばれる青年です。天草四郎は小西家滅亡後に天草に移り住んだとされますが、詳しいことはわかっていません。

四郎は聖杯と天使が描かれた旗印を掲げて島原藩や幕府軍と戦います。一揆勢は島原藩や唐津藩の軍と戦い優勢に進めますが、周辺諸大名の援軍が迫っていることを知り、廃止された原城に立てこもることにしました。この時、四郎らとともに原城に立てこもった人数は3万人以上と伝えられます。

幕府による一揆の鎮圧

乱の発生を知った幕府は譜代大名の板倉重昌を派遣。板倉は九州の諸大名をひきいて一揆勢の立てこもる原城を攻撃しました。原城は戦国時代につくられた実戦向きの城で、三方を海に囲まれる要害です。そのため、幕府軍の攻撃を2度にわたって撃退しました。

幕府は知恵伊豆と称された老中の松平信綱の派遣を決定します。これを知った板倉は功を奪われるのを恐れ強引な総攻撃を決行しました。しかし、原城を攻め落とすことはできず板倉は戦死してしまいます。

到着した松平信綱は原城を完全包囲。信綱は中に潜り込ませた密偵から食料が少ないとの情報を得ると兵糧攻めに変更しました。さらに、長崎のオランダ商館に掛け合い、海に面した原城への艦砲射撃を実施します。これは、実際の効果よりキリシタンたちが期待したスペインやポルトガルの援軍が来ないことを知らしめる目的がありました。

原城陥落と江戸幕府によるキリシタン弾圧の強化

原城を攻囲していた幕府軍は一揆勢の戦死者の死体を検分。彼らの胃の中にほとんどものが入っていないことを確認します。総司令官の松平信綱は一揆軍が限界に達していると判断しました。

1638年2月27日、幕府軍は原城への総攻撃をおこないます。空腹で力を失っていた一揆勢はもろくも敗れ去りました。指導者の天草四郎は討ち取られ、一揆に参加した人々はことごとく皆殺しにされます。

キリシタンによる大反乱は幕府にも大きな衝撃を与え、幕府は徹底したキリシタン弾圧をおこないました。島原や天草、および他の地域に住んでいたキリシタンたちは隠れキリシタンとなって潜伏します。

隠れキリシタンがキリスト教の信仰を認められるのは1873年。明治政府が禁教令を解除することで、ようやっと公然とキリスト教を信仰できるようになりました。

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