3.日本三大怨霊【平将門】
By 不明 – http://www.kcc.zaq.ne.jp/kids_clinic/Cafe/yoshitune/masakado.jpg, パブリック・ドメイン, Link
菅原道真の怨霊が京都を恐怖のどん底に叩き込んでいた頃、時を同じくして関東でも一大事が起こっていました。関東の豪族に過ぎないはずの平将門(たいらのまさかど)が乱を起こし、自らを新皇と称して朝廷に挑みかかってきたからでした。将門伝説と呼ばれた怪異現象の数々をご紹介していきましょう。
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3-1.関東で生まれた平将門
平安京へ遷都した桓武天皇の孫、高望王(たかもちおう)が関東へ下向して平氏の祖となりました。平将門は5世子孫だとされています。
将門の生年は不明ですが、天皇直系の子孫であるにもかかわらずその身分は低く、藤原氏の配下に甘んじていたようですね。京都で12年ほど暮らすものの、やはり出世は望めずにあきらめて関東へ戻ってきた時に戦乱が起こるのです。
領地争いから一族と不穏な関係となり、将門は襲撃されるものの逆襲に転じて敵を討ち、叔父の平国香(たいらのくにか)を殺害してしまいました。
乱の責任を問われて朝廷から召喚命令を受けますが、この時は釈明が功を奏したのか許されていますね。
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3-2.名声と人望を得る
将門は許しを得て再び関東へ戻りますが、一族間の不和は収まりません。今度は親戚の平良兼が兵を率いて襲撃してきたのです。
一度は敗走を余儀なくされますが、弟たちの援助を得て反撃に転じ、朝廷から良兼らを追討すべしという官符を掲げつつ、敵の駆逐に成功したのでした。
将門の武勇は近隣に鳴り響き、その人望のもとに多くの人々が集まってくるようになったのです。もともと親分肌の性格だったらしく、やがてその性格が災いして将門を窮地に陥れることとなります。
3-3.関東を巻き込む争乱
自分を頼ってきた者があれば、どんな人間であっても招き入れてしまうという懐の深さがあった将門。それゆえに興世王(おきよおう)や藤原玄明(ふじわらのはるあき)といった問題児を抱え込んでしまうことになったのです。
興世王は、藤原氏の権勢に押されて都を離れ、地方官人となって生計を立てなばならなくなった皇族でした。また藤原玄明は盗賊同然のならず者だとされています。
そういった愚かな人間たちに取り込まれ、持ち上げられてしまった将門は「新皇」と称して「自らこそが八幡大菩薩の使いであり、皇統を引き継ぐ正統者だ」と公言し、関東各地の国府を襲っては略奪するという行為を繰り返しました。八幡神とは応神天皇のことを指しますので、自らが王の血統者だと言っちゃったわけですね。
しかし、その野望もむなしく藤原秀郷、そして平国香の嫡男貞盛の連合軍に敗れ、その首は京へ送られることになりました。
3-4.将門、怨霊となる
現在の東京都千代田区大手町のビジネス街の一角に、将門の首を祀った塚が残っていますね。戦いに敗れ、京へ送られて晒された将門の首が、「我に四肢を与えよ!さればもう一戦せん!」と叫んで関東の方角へ物凄い勢いで飛んで行ったとか。
すると首は現在の千代田区神田のあたりまで飛んで落ちたきたそうです。やがてその地に建てられたのが神田明神だといわれていますね。ここの三之神として将門は祀られています。
そして大手町の首塚は、これまでに多くの奇怪な逸話を残しています。
関東大震災があった頃、首塚の跡に大蔵省の建物を建てようとしたところ、時の大蔵大臣や関係者が次々に死亡。あまりのタタリに計画を断念した。
太平洋戦争後、GHQがこの地に駐車場を造ろうとしたところ、突如ブルドーザーが横転して作業員が死亡。
それ以外にも数々の怪異現象を引き起こしてきたと伝えられていますね。
3-5.「将門伝説」の真相とは?
こういったタタリがあるものの、実際に謀反を起こして悪人となったのは将門のはず。恨まれはしても恨むのは筋違いというものですね。ですから将門伝説というものは、よくある英雄譚の一つだともいわれています。
将門のいた関東地方は収奪や賄賂などが横行していて、赴任した国司たちが不正をもって自らの財を成そうとするのが当たり前の時勢でした。収奪される側の農民たちはたまったものではありません。そこで憎い国司のいる国府を叩き潰し、勝利を続ける将門の姿に人々は留飲を下げたことでしょう。
将門は戦いも強く、男気も勇気もある男。その姿を鮮明に覚えていた人々が、将門の行動を超人的な伝説にしたのでしょうね。
4.日本三大怨霊【崇徳上皇】
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この崇徳上皇ほど執拗に呪詛の言葉を吐き、朝廷に祟り呪った人はいません。権謀術数にまみれた平安時代末期、己の境遇と血脈を呪い続けた名実ともに最強の怨霊の登場です。もしかしたら武家政権の誕生は、この人の呪詛のせいかも知れません。