ヨーロッパの歴史

「EU」って何?仕組みと歴史についてわかりやすく解説

ヨーロッパを一つにする

第一次世界大戦と第二次世界大戦以降、ヨーロッパの諸国では苦境に立たされていきます。この頃ヨーロッパで大国と呼ばれていたのはフランス・イギリス・ドイツなんですが、イギリスはロンドンをナチスドイツによって空襲を受けてしまい、さらには大英帝国の命綱であったインドも独立してしまうなどの被害を受け、フランスではアルジェリアなどの植民地で反乱が勃発。ドイツに至っては敗戦によって国が4つに分割された後に西ドイツと東ドイツへ分裂してしまう始末。

さらには第二次世界大戦が終結すると超大国として君臨していたアメリカとソ連が対立を開始。特にヨーロッパがこれまで築き上げてきた経済の中心地の座を奪ったアメリカに対抗するためにはヨーロッパを一つにするしかないと発言する政治家や知識人も現れていくようになります。

EUの原点となる組織の成立

ヨーロッパを統一を推し進めていこうと考えていたのかイギリス首相のウインストン・チャーチル。この人が1948年に演説にて合衆国を成立させようと発言した2年後にフランスのロベルト・シューマンが石炭や鉄鋼などの重工業などの共同体を形成するべきだというシューマン宣言を発します。

元々、石炭はルール地方などでよく取られていき、その付近はヨーロッパ一の工業地帯となっていましたが、ここを巡ってドイツとフランスが対立するという歴史もあり、石炭と鉄鋼を共同体にすることによって戦争を起こさないようにするという考え方が根底にありました。

そうして1951年フランス・イタリア・西ドイツを中心とする6ヶ国による欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が成立。これによって長年続いてきたフランスとドイツの対立に終止符を打つことになりました。

その後石炭と鉄鋼だけではなく経済全般で共同体にしようと1958年にEECを成立。ECSCで参加した国がそのまま加盟して最終的にはイギリスやスペインなども参加。EUの基礎が着々と作られていったのです。

EECからEC、そしてEUへ

このようにヨーロッパの経済を一つの共同体とする動きはある程度の成果を得て1967年にはECSCとEECを統合したECが設立。

1973年にはポルトガルやスペインやアイルランドやイギリスなども加盟して12ヶ国となります。こうして色々なヨーロッパに関する共同体を統合したことによって経済だけではなく、様々なヨーロッパでの問題や、文化・教育・移民問題などのざまざまな情報を共有しあったり解決していくという体制が確立。

さらに1990年に東欧の共産党政権が軒並み崩壊すると1990年の東ドイツの併合を皮切りに徐々にその範囲を拡大。1993年にはECに加えて軍事や政治や外国などの範囲を管轄するEUが誕生したのです。

なんでイギリスはEUを抜けようとしているのか?

image by PIXTA / 50144060

 

ヨーロッパの統合を推進するために成立したEUでしたが、現在ではそのような協調路線ではなく、国自身が誇りを持つことを目指した政党が現れるようになり、イギリスでは国民投票によってEUの離脱が決定。今でもそれに伴う交渉が続けられています。

実はそこにはEU加盟国のふたつの悩みが存在したからでした。

まず、EUという組織は国境というものが自由に解放されているため、簡単に国民が行き来することができます。その一方でこれによって難民が押し寄せてくるという可能性が非常に高くなるという闇の部分もありました。

「難民を受けいれてもいいんじゃないの?」と思うかもしれませんが、もし難民を受け入れてしまうと安い給料でも働いてくれる難民に仕事を奪われてしまうという不安が生まれていきます。

さらにその難民を助ける費用はイギリス国民が汗水たらした税金によって賄われており、それがイギリス国民の怒りを買ってしまったという面もありました。

さらに、リーマンショック以降ヨーロッパ全域での経済が悪化。特にギリシャはとんでもない借金を抱えていたことが明るみとなったことによってその分の補填をEU加盟国でどうにかしなければいけないということとなってしまいました。この二つの理由がイギリスを離脱の方向へと進めてしまったのですが、もしEUを離れてしまうと大企業がドイツやフランスに逃げてしまう懸念や、関税がかかることによる経済の停滞を招いてしまうこともあり現在でも調整が進められています。

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