絶対見ておくべき大坂城の見どころスポットをご紹介!
大坂城は大阪市が誇る一大観光スポットですから、休みの日ともなれば国内はもとより海外からの観光客たちもドッと押し寄せる場所でもあります。たいていはJR大阪城公園駅から西へ向いて歩き、青屋門~極楽橋経由で天守閣へ向かうルートが多いのですが、それだけではやっぱり面白くないですよね。そこで、一般の観光客があまり行かないような、それでいて大坂城ならではのスポットをご紹介していきましょう。
大坂城最大の巨石城壁【蛸石】
隠れた観光スポットというわけでは決してありませんが、大坂城へ来たからには是非とも押さえておいてほしい場所になります。位置は大坂城本丸の南側、ちょうど桜門をくぐって内側に【蛸石(たこいし)】という一枚岩の巨石が目につきますね。
一枚岩ですが表から見える表面積は36畳分、重さは108トンにもなり、1624年に備前岡山の藩主池田忠雄の担当で築かれました。
幕末に火災で焼失するまでは、この蛸石の上に多聞櫓(たもんやぐら)が乗っていたそうで、桜門を突破してきた敵を袋小路に追い詰めてやっつけるための場所でした。
【蛸石】の名の由来は、石の左端に蛸の足を思わせるような模様があり、そこから名付けられたんだとか。よく見ると石の表面には【矢穴(やあな)】という直線状にクサビを打ったような跡があり、その穴に鉄製の矢を差し込み、上から叩くと石は左右に割れる形になります。蛸石をもっと割って小さくしようとしたのか?途中であきらめたのかはわかりませんが、その痕跡が今に残っているのです。
大坂城に現存する最も古い建造物【千貫櫓】
【千貫櫓(せんがんやぐら)】は、1620年の大坂城再建の際に造られた大坂城最古の建造物です。場所は大阪城公園の西の端にあり、大手門を守る重要なところに位置していて、二層構造の隅櫓になっています。
千貫櫓の「千貫」とは、かつて石山本願寺に織田軍が攻め込んだ際、この付近にあった隅櫓からの横矢攻撃に悩まされた将兵たちが「一千貫文払ってでもあの櫓を落としたい」と話し合ったという謂れがあり、それだけ堅固な防御施設だったということが伺い知れますね。
なぜ大坂城最古の建造物と断定されたかというと、戦後の解体修理の際に、「元和六年九月十三日御柱立つ」と上棟式の日を記した部材が見つかったからなのです。ちなみに大坂城二の丸に現存する乾櫓(いぬいやぐら)も同時期頃の建造物だとされています。
実はこの千貫櫓、期間限定ですが一般公開もされていて、2019年11月24まで多聞櫓、煙硝蔵などと共に内部を見学できますね。多くの観光客たちが復興天守閣へ向かう中、実はこちらの方は比較的閑散としていますので、隠れた穴場スポットだといえるでしょう。
近い将来、一般公開されるかも?【地中に埋もれた豊臣時代の石垣】
豊臣氏の痕跡を消すために、徳川幕府がわざわざ土盛りをして再建させた大坂城ですが、豊臣氏時代の石垣遺構は地中深く埋もれている状況にあります。実はこれまで何度も発掘調査が行われてきました。天守閣そばにあるマンホールのような試掘坑もそうですし、2014年には石垣発掘現場が一般公開もされていました。(現在は埋め戻されている状況)
また大坂城北西、天満橋駅近くにある「大阪府立男女共同参画・青少年センター(通称ドーンセンター)」では、豊臣時代の三の丸石垣が発見されたままの状態で復元されています。
近い将来、大坂城の本丸石垣が大規模に一般公開される計画も進行しているようです。その名も「大阪城豊臣石垣公開プロジェクト」と呼ばれる運動で、一般市民から募金を募って建設資金を調達し、地下に眠る豊臣時代の石垣を誰でも見られる公開施設にするというもの。
こういった施設が完成すれば、豊臣期と徳川期との石垣の違いを簡単に見比べることが出来ますし、当時の築城技術がどのようなものであったのか?がよく理解できますよね。
大坂城豊臣石垣公開プロジェクト – 太閤なにわの夢募金
大坂夏の陣から400年、太閤秀吉が築いた初代大坂城の石垣を発掘・公開への取り組み。公開事業の募金案内公式サイト。
お城の堀をゆったりと遊覧。気分はまるで太閤?【大阪城御座船】
大坂城の内堀を周回している和風の遊覧船です。太閤秀吉にちなんで金箔造りの設えになっており、春の桜の季節や、秋の紅葉の時期には美しい風情を感じることができます。
普段はなかなか見られないアングルから美しい高石垣を眺められるため、下から見上げるとかなり迫力のあるお城の姿に目を見張りますね。
運行時間は20分ほどですが、音声ガイドも付いており、船上での飲食もOKなのがうれしいところ。かなり混むのかと思いきやあまりそうではなく、3隻体制で10分間隔で運行しているため、ほとんど待ち時間なく乗れるところが便利ですね。ただし、繁忙期には早めにチケットが売り切れることもあるらしいとのこと。