ギリシャヨーロッパの歴史古代ギリシャ

地中海で繁栄を極めた「古代ギリシャ」を解説!5分でわかる古代ギリシャの歴史

少数精鋭の軍事国家スパルタ

アテネと全く対照的なシステムをとったのがドーリア人のポリスであるスパルタ。スパルタでは少数の市民がヘイロータイとよばれる奴隷やペリオイコイとよばれる周辺民を支配します。

スパルタでは個人や家庭よりも国を守ることを最優先する軍国主義の体制がとられました。これは、少数の市民で多数の被支配者を抑え込む必要があり、常に緊張していなければならなかったからです。

スパルタでは戦士の育成が何よりも優先されました。これは、男子に限らず女子も対象となります。こうした軍事優先の仕組みをリュクルゴスの制といいました。その結果、スパルタはギリシャ最強と称される重装歩兵部隊を所有。ギリシャ政治全体に大きな影響力を及ぼすようになります。

アテネとスパルタが手を取り合って戦ったペルシア戦争

紀元前500年頃、オリエントを支配していたのはアケメネス朝ペルシアでした。ペルシアの王ダレイオス1世は東西に領土を拡大し、ペルシア帝国の最盛期を作り上げます。

紀元前500年、小アジアのエーゲ海沿岸にあったギリシャ人の植民市イオニアがペルシアに反旗を翻しました。ダレイオス1世はイオニアの反乱を鎮圧しましたが、イオニアに援軍を送ったアテネにも軍を派遣し征服しようとします。これが、ペルシア戦争の始まりです。

紀元前490年のマラトンの戦いではアテネを中心とする重装歩兵軍がペルシア軍を撃退。前480年のテルモピレーの戦いでは数の差でスパルタ軍が敗れるものの、サラミス海戦でアテネ海軍がペルシア海軍を壊滅させます。紀元前479年、プラタイアの戦いで再びギリシャ軍が勝利することでペルシア戦争はギリシャの勝利で幕を閉じました。

ギリシャ人を団結させたオリンピアの祭典とデルフォイの神託

ペルシア戦争の時、ギリシャ人たちがまとまって戦うことができた背景には、自分たちは同じ民族だという連帯意識がありました。ギリシャ人たちは自分たちのことをヘレネス、他の人々をバルバロイと呼んで区別します。

ヘレネスはギリシャ語を話すギリシャ民族のことで、オリンピアの祭典に参加し、共通の神々を信仰しました。オリンピアの祭典が行われている最中は、「神聖な休戦」の期間とされ戦争は中止されます。

オリンピアの祭典での主な競技種目は陸上競技やレスリング。オリンピアの祭典は基本的に全裸で行われます。参加するのはギリシャ人の成人男性市民のみでした。

また、中部ギリシャにあるデルフォイにはアポロン神殿があり、巫女を通じて語られる神託は全てのヘレネスが尊重しなければならないとされます。こうした共通の価値観を持っていたからこそ、ペルシア戦争で団結して戦うことができたのでしょう。

ポリス同士の内紛で古代ギリシャは衰退した

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ペルシア戦争後、ギリシャの覇権を握ったのは最も活躍したポリスであるアテネでした。アテネはデロス同盟を結成し、盟主の座につきます。対して、スパルタなどペロポネソス半島のポリスはペロポネソス同盟を結成しアテネに対抗。アテネとスパルタの対立はペロポネソス戦争へとつながり、ギリシャ全体が衰退していきます。

アテネとスパルタが覇権を争ったペロポネソス戦争

ペルシア戦争において、サラミス海戦などで活躍したアテネはペルシアの来襲に備え、デロス同盟を結成します。アテネはデロス同盟の盟主として、アテネ帝国と呼ばれるほどの権勢を誇りました。

アテネの勢力拡大を最も警戒したのがスパルタです。スパルタはペロポネソス同盟を結成してデロス同盟に対抗しました。

紀元前431年、スパルタがアッティカ地方に攻め込むことでペロポネソス戦争が始まります。

アテネは籠城戦でスパルタの攻撃をしのごうとしますが、アテネ市内で疫病が蔓延。戦力が大幅に低下します。アテネはシチリア島などで反撃に出ようとしますが、失敗に終わりました。

スパルタはアテネの穀物輸送路を抑え、これに耐えられなくなったアテネが紀元前404年に降伏。ペロポネソス戦争はスパルタの勝利に終わりました。

マケドニアの圧力に屈したギリシャのポリス群

ギリシャ本土でポリスが成立していたころ、ギリシャ北方のマケドニアにはギリシャ化したマケドニア人が王国を形成していました。

紀元前359年に即位したフィリッポス2世はマケドニア軍の育成に成功し、マケドニアをギリシャ周辺で最強クラスの国に成長させます。ペロポネソス戦争などによりポリスが衰退したことをチャンスととらえたフィリッポス2世はギリシャ本土に侵攻。アテネ・テーベ連合軍をカイロネイアの戦いで撃破しました。

マケドニアの力を見せつけられたギリシャのポリスは次々と軍門に下ります。この結果、スパルタを除く全てのポリスが参加するコリントス同盟が結成されました。内紛を繰り返すアテネにも、少数精鋭部隊しか持たないスパルタも、マケドニアの圧倒的国力の前に従わざるを得ませんでした。

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