日本の歴史鎌倉時代

「封建制度」って何?武士がつくりあげた封建制度・鎌倉幕府についてわかりやすく解説

悪党の登場と鎌倉幕府の滅亡

鎌倉時代末期から室町時代の初期、近畿地方やその周辺に悪党とよばれる武士たちが現れます。彼らは幕府や荘園領主、国司の命令に従わず武力で抵抗しました。もっとも有名な悪党が楠木正成です。

正成のような悪党と結びつき、鎌倉幕府の支配を覆そうとしたのが後醍醐天皇でした。後醍醐天皇は、なんども倒幕を画策。失敗する都度、立ち上がって幕府を苦しめます。

業を煮やした幕府は後醍醐天皇を強制的に退位させ、隠岐に島流しにしました。それでも後醍醐天皇はあきらめず、協力する豪族らの手によって救い出され幕府に立ち向かいます。

承久の乱のころは頼朝が作った幕府と封建制度を守るために戦った武士たちは、北条氏を守るためには戦いませんでした。幕府の有力御家人だった足利高氏が幕府から離反したことで幕府の凋落は決定的なものとなります。1333年、鎌倉幕府は反幕府軍によって滅ぼされてしまいました。

源頼朝が作り上げた鎌倉幕府は、御恩と奉公の関係が崩れたことで滅亡した

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源頼朝は、それまで貴族の従者に過ぎなかった武士たちの地位を一気に引き上げました。それだけではなく、御恩と奉公の関係を確立し鎌倉幕府という新たなシステムを作り上げます。しかし、北条氏に権力が集中する中、奉公に対して適切な御恩が与えられなくなったことで幕府は御家人たちの支持を失ってしまいました。御恩と奉公が崩れた状態で命がけで幕府を守ろうという御家人はいなかったのです。

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