日露戦争で賠償金の取れなかった日本は朝鮮半島での搾取に走る
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当時の日本は、日露戦争後に賠償金が得られなかったこともあり、不景気が続き、遼東半島から中国東北部への進出資金がありませんでした。そこで、日本政府は、1910年には朝鮮半島内で土地調査事業をおこなって、土地所有者が見当たらないとして、多くの朝鮮農民から土地を取り上げたのです。さらに、会社令によって朝鮮人の会社設立を制限して、韓国経済を支配し、多くの朝鮮人の財産を搾取しました。
日本軍と総督府の搾取は三・一事件まで続いた
この日本による強権的な軍事支配は、1918年に大規模に起こった三・一事件まで続きました。三・一事件は、第一次世界大戦末期に、当時のアメリカ大統領であったウィルソンが、民族自決を主張したことから生じています。植民地主義を否定して、各民族は自分ですべて決めるべきであるという主張でした。戦争の終わった1919年3月には、朝鮮半島でも学生などの多くの若い知識人を中心に、全国的に反日運動が展開されたのです。それを朝鮮総督府は軍隊を動員して鎮圧し、多くの朝鮮人が犠牲になりました。
日本政府は、当初は犠牲者を否定し、軍の導入の正当性を主張しましたが、日本国内の新聞社なども追求したことから、犠牲者の出たことを認めます。そして、朝鮮半島における強権的な支配を穏健な政策に転換したのです。
しかし、この20世紀初頭の日本の朝鮮出兵による強権的な支配は朝鮮の人々を深く傷つけ、今でも日本に対する恨みは消えていません。
他国への侵略出兵行為に大義名分はない
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現在では、戦いというものには、大義名分が必要であり、それによって戦争そのものを正当化しようとしています。昔のように、強いものが他国への侵略行為をおこなうことが当たり前の世界ではなくなっているのです。
ロシアの 半島の自国組み込みは世界中から非難されました。また、イラク戦争もアメリカが核兵器開発を阻止するという大義名分でおこなわれたものの、結果的に核開発の証拠は見つからず、アメリカの独善的な主張は通用しなくなっています。
本来、いくら大義名分があるにしても、他国に出兵して支配することは許されるものではありません。日本の明治時代朝鮮出兵も、朝鮮王朝の混乱はあったとしても、一方的な日本の領土欲によって生じています。今一度、この行為を反省すべきではないでしょうか。
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反省すべき朝鮮出兵を忘れて隣国との未来はない
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日本も、明治時代には、朝鮮出兵をおこない、ついには朝鮮半島を支配してしまうという愚行をしてしまいました。この事は許されることではなく、強く反省して許しを乞うべきですが、戦後の歴代政府はきちんと謝ったことがありません。やはり、互いに信頼し合える関係を構築するためには、まず、悪かったことは謝ることが最初のはずです。お金の話ではありません。未来志向という言葉に酔って、過去の出来事を無かったことにするのでは、未来志向の関係など築けるはずはないのです。私たちは、過去の朝鮮出兵を忘れてはいけないでしょう。