安土桃山時代日本の歴史

秀吉と家康の最初で最後の直接対決「小牧・長久手の戦い」をわかりやすく解説

富山征伐と関白就任

こうして西日本をあらかた制覇した秀吉。しかし、まだ東日本は安定したとは言えません。特に秀吉が信長の家臣の時から嫌っていた佐々成政は家康と連携するために冬の立山連峰を越えてまでするなど秀吉に降伏したくはなかったようで、秀吉は四国征伐を終わらせるとすぐさま成政か治める富山に向かい出立。さすがに秀吉に対する反抗の心があったとしても大軍には勝つことができず、成政は降伏。さらについでと言わんばかりに越後の上杉家も自身の勢力下に組み込むことに成功しました。

こうして日本の大部分を手中に収めた秀吉は天下統一の総仕上げとして朝廷から関白を受任。さらに朝廷から豊臣という姓を与えられました。

こうして朝廷の威光を手に入れた秀吉はここから先は朝廷の命令を受けて攻める官軍としての立場となり、諸大名を制圧していくのでした。

家康の服従

こうして関白に就任した秀吉でしたが、東海地方のほとんどを領地化している家康を服従しない限りは天下統一にはなりません。そこで秀吉はなんとしてでも家康を服従させにかかります。

家康からしてもこの頃真田家の反抗による疲弊。天正大地震の復興に明け暮れるようになり秀吉に反抗するどころではなくなっていました。

秀吉は家康に服従させるためになんと妹の朝日姫を正室にするという形で差し出し、さらにその朝日姫の見舞いという形でなんと母である大政所も人質として差し出したのです。

これには家康もお手上げ。秀吉がここまで必死なのに服従しなかったら本気で潰されることは間違いなしです。仕方なく家康は秀吉に服従することを決意。

10月に秀吉と面会して諸大名の前で秀吉に服従することを宣言しました。

こうして家康を支配下に置いた秀吉はついに天下統一の総仕上げと言わんばかりに九州征伐、そして小田原征伐を行なっていくことになったのです。

小牧・長久手の戦いは秀吉の天下統一を決定づけた戦いだった

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こうして小牧・長久手の戦いは徳川家康の勝利に終わりましたが、実際は秀吉の天下統一を決定づけることになりました。
その後秀吉は九州征伐や小田原征伐を行なっていくことになるのですが、秀吉が天下統一ができたのは小牧・長久手の戦いがあったからかもしれませんね。

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