室町時代戦国時代日本の歴史

戦国の世を駆け抜けた武田四天王たち~彼らの史跡もご紹介~

武田氏譜代の名跡を継ぐ

馬場信春は元の名を教来石景政といい、1514年に誕生したとされています。武田晴信が父信虎を追放したあと、信虎によって断絶させられていた馬場氏の名跡を継ぎました。それにしてもこの信虎という人物、自分に諫言したり、気に入らない家臣を次々に粛清していたようで、晴信が家督を継いで以降、側近に断絶した家の名跡を継がせることをよく行っていたようです。

信玄(晴信)から「信」の字を与えられ改めて馬場信春と名乗り、亡くなった原虎胤の武功にあやかって美濃守を継承。その後は武田氏の行った戦いには必ずその姿がありました。川中島合戦、駿河侵攻、三増合戦など次々に華々しい活躍をしたそうです。駿河の今川氏を攻めた際には、信玄から「館の財宝を持ち出せ」と指示があったにも関わらず無視し、いったん運び出した財宝を再び炎の中へ放り込むという暴挙に。信春が言うには「戦いの最中に財宝を奪うなど後世から笑われる。」と一笑に付したといいます。それを聞いた信玄も笑って許したとのこと。

戦いだけでなく築城術にも長けていた信春

1572年、信玄による西上作戦が開始された時、別動隊の主将だった信春は二俣城を落としたあと本隊と合流し、三方ヶ原にて徳川軍を壊滅させています。浜松城へ逃げる家康を追って追撃しますが、あと一歩のところで取り逃がしてしまいました。

信玄死後は勝頼に仕えますが、1575年の運命の長篠の戦いでは「退却すべし」という進言を拒否され、死を覚悟した信春は鬼神のような戦いぶりを見せます。信長公記にも「馬場美濃守手前の働き、比類なし」と記されており、大量の鉄砲を前にしてもひるまなかった勇猛さが伺えますね。その後、勝頼が退却するのを見届けてから、敵に立ちふさがるように討ち死にしたそうです。

信春は築城の名手としても知られ、愛知県の古宮城や、静岡県の諏訪原城など、武田流築城術を駆使した土の芸術品ともいえるような名城を各地に造っています。

馬場信春ゆかりの史跡【諏訪原城】

空堀や土塁などを巧みに配し、武田流築城の粋を集めた土の城です。中でも「丸馬出し」という遺構は全国的に見ても珍しく、信春の築城術の素晴らしさを感じることができます。

【場所】静岡県島田市金谷

【車でのアクセス】東名高速道路、相良牧之原ICから10分。新東名高速道路、島田金谷ICから10分

【電車でのアクセス】JR東海道本線金谷駅下車、西へ徒歩20分

若い頃は信玄の恋人、甲陽軍鑑の原作者でもある【高坂昌信】

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武田四天王の最後を飾るのは高坂昌信です。かなり異色の出身でしたが、四天王の中で唯一戦死しなかった人でもあります。武田家の行く末を案じつつ亡くなりますが、能力次第でいくらでも出世できるという戦国の風潮を体現した人物でもあったのです。

晴信(信玄)の寵童となり、出世の階段を上がる

1527年に生まれた昌信は実は武士の出身ではなくて春日家という百姓の出で名も源五郎といいました。この時代はまだ武士と百姓との境界があいまいで、16歳の頃に小姓として晴信(信玄)の居館に出仕したのです。美少年だった源五郎は晴信に気に入られ、夜の伽の相手をしたといいます。実は現在でも「武田晴信誓詞」という源五郎宛てのラブレターが現存していますね。

しかし源五郎はただの寵童で終わらなかったところが凄いところです。戦場では使い番として働き、小岩嶽城を落とした功などによって侍大将に出世。春日虎綱と名を改めました。当時は上杉謙信と敵対していた真っ最中の頃で、彼の才能を見抜いた晴信が最前線の海津城へ虎綱を置いたのも、この頃のことです。そして赴任先の名族の名跡を継いで高坂昌信と名乗り、上杉から海津城を守り抜いたのでした。

長篠で死なず、武田の行く末を案じながら亡くなる

その後も西上野侵攻や、西上作戦に従軍して戦功を挙げるなど活躍を見せた昌信でしたが、信玄が亡くなった際には思い余って殉死しようとしたといいます。周囲に止められて事なきを得ますが、彼にとって信玄の存在そのものが自らのアイデンティティだったのかも知れません。

なぜか勝頼に疎まれた昌信は、長篠合戦へは従軍を許されず、ひたすら海津城を守って上杉軍の南下に備えました。長篠での敗報を聞いた昌信は、信州の兵をまとめて救援に向かいますが、その途中で敗れて引き上げてきた勝頼一行と行き会います。敗残の姿となって落ちぶれた勝頼を憐れみ、軍装を新たに着替えさせた上で甲府へ凱旋させたのでした。

その後の昌信は、戦陣で活躍するよりも武田氏の事歴を編纂することに重きを置きました。昌信の口述をまとめた記録が「甲陽軍鑑」として世に残るのです。そして武田氏の滅亡をその目で見届けないまま1578年に死去しました。

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明石則実