室町時代戦国時代日本の歴史

「刀狩り」とは?秀吉の専売特許ではなかった?本当の刀狩りの歴史を解説

歴史の教科書でも「刀狩り」と聞くとすぐに「豊臣秀吉」が頭に浮かびますよね。そして言われているのは「下克上をされないため」という理由ですよ。たぶん皆さんも同じだと思います。実際にそれ以外でもあまり聞かないので当たり前と思っていましたが、色々と調べてみたら時代を超えてけっこう行われたことがわかってきましたので、紹介していきましょう。

刀狩りっていったいなんなの?

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狩野光信 – 1. Shouzou.com [1], Kōdai-ji temple warehouse, Kyoto, Japan, パブリック・ドメイン, リンクによる

豊臣秀吉で有名な刀狩り。そもそも刀狩りというのは、誰がなんのためにしていたのか、わかったようで本当はなんのためにしたのかかがよくわからないですよね。明治維新の「廃刀令」や現在の「銃砲刀剣類所持等取締法」も刀狩りと同じなんですよ。

刀狩りの本来の意味

古墳の時代から、刀は神聖なものとして魔除けとかご神体そのものになっていたりします。今は『刀剣乱舞』で刀を「刀剣男子」としてアイドルのようになっていたりしてますよね。こういう歴史に名を残している刀だけでなく、昔は農民なども戦いとなると刀をもって自分の土地を守る兵隊となります。そういう刀になるとほぼ鍬や鎌のような出来ですが。

時代劇などで武将が馬に乗ってバッサバッサと戦いはカッコイイですよね。しかし実際は夢を壊すようで申し訳ないですが、実はそういうことはなく、馬は大事なものですから戦いには参加しません。どちらかと言うと交通手段や荷物の搬送に使われていたので、騎馬弓兵以外は矢が飛んでこないようなところで馬から下りての戦いになります。ほとんどの戦いは矢を射ってで、ほとんどの戦いでの傷や死亡は矢傷ですよ。そして矢がなくなると刀や槍での肉弾戦の戦いということになります。馬が傷ついたり死んだりしては困るから騎馬では戦いません。そうなるとマジで強い人が出世していくのですよ。大河ドラマの『麒麟がくる』の第2話の戦闘シーンはそれに近いものがありますね。

その強い人が兵隊としていたら心強いですが、時には政府のいうことをきかない大きな寺を守る僧兵とか、一揆などの反乱分子になることも多いわけです。政治がしにくくなりますね。そこで武士以外の人たちから刀を取り上げるのが「刀狩り」の本当の意味となるのですね。

豊臣秀吉以前の「刀狩り」があった!

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刀狩りといえば、豊臣秀吉の専売特許のように知れ渡っていますが、実は豊臣秀吉が考えついたものではありませんでした。それまでにも刀狩りは行われていたのですね。どんなことがされていたのか紹介していきますよ。

歴史初の刀狩りとは?

歴史の史料で初めて刀狩りが行われたと記述されているのは、鎌倉時代の第一史料となっている『吾妻鏡』ですね。この吾妻鏡というのは、政治だけでなく災害などもけっこう細かく記録がされているので大変参考になります。

安貞2年(1228)に、鎌倉幕府の第3代執権「北条泰時」高野山の僧侶に対して行ったというものですね。僧兵を押さえる意味があったのでしょう。織田信長の「比叡山焼き討ち」は有名ですが、実は高野山も計画されていたというので、高野山も似たようなものだったのでしょうね。

次は、仁治3年(1242)鎌倉に住むの僧侶と、僧侶の側使いである稚児・中間・寺侍・力者などに帯刀を禁止する「腰刀停止令」を出しますよ。刀剣は没収して大仏(鎌倉大仏)を造るとしました。建長2年(1250)第5代執権「北条時頼」は、鎌倉に住む庶民の帯刀と総員の夜間弓矢の所持を禁止したとありますね。しかし、それらはそれほど守られている様子もなかったようで、日蓮宗開祖の「日蓮」が佐渡に流刑となる時に、役人が草庵に踏み込んだら武器があったということからわかりますね。

柴田勝家もやっていた刀狩りは趣旨が違う?

織田信長のたくさんある戦の中でも激戦となった「越前一向一揆」と「長島一向一揆」というものがあります。この中でも「越前一向一揆」は、浅井氏・朝倉氏を討ち滅ぼしたあとの越前に、元朝倉氏の家臣で織田信長の家臣になった「前波吉継」が守護代として就任されました。しかし粗暴な行いが目に余ったため、本願寺勢力の一向一揆が国衆らと手を結んで討ち滅ぼし、織田軍に反乱を起こしたのですね。

ところがこの本願寺勢力は一枚岩ではなく、真宗高田派は参加しなかっただけでなく、越前一向一揆の総大将の「下間頼照」を捕らえて討ったために、柴田勝家は帯刀を逆にすすめて武装させるよう命令したのですよ。反本願寺派の高田派をつかって反織田である一向一揆を牽制させる政策をとったのですね。(武器を買ってでも武装しろと命令している)

天正4年(1576)の越前の制圧後は「刀さらえ」という刀狩りをしています。寺社に対して所領にあわせた武器以外は提出することを命令したのですよ。かなり文句が出たようですね。ただ織田信長の先祖からの縁が深い「織田神社」だけは免除しています。その集めた刀で農具を造ったり鎖を造ったという話がありますが、出典が江戸時代の作なので眉唾ものですね。

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紫蘭