室町時代戦国時代日本の歴史

日本を彩った戦国大名とは一体どんなものだったのか?その謎の仕組みについて徹底解説!

戦国大名のパターン分け

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戦国大名というのは戦国時代に権力を握って独自の内政や軍事力を持った大名のことを指すのですが、この戦国大名の成り立ちはいくつかのパターンに分かれていました。

次はそんな戦国大名のパターン分けについて見ていきましょう。

本当に浪人や農民から戦国大名となったパターン

下克上といったら一番思いつくのがこのパターンですが、実はこれによって戦国大名となった大名は本当に数えるぐらいしかいません。昔なら下克上の代名詞と呼ばれていた後北条氏の創始者である北条早雲も今では名門の生まれだと言われていますしね。

しかし、それでもこのパターンによって戦国大名になった例はいくつかあります。その人物こそが豊臣秀吉だったのでした。

守護代から戦国大名となったパターン

これはほとんどの戦国大名に当たる戦国大名のスタンダードなパターンといってもおかしくないほどメジャーなものでした。

戦国時代とは応仁の乱という内乱から始まったと書きましたが、この応仁の乱によって何が起こったのかというと当時領地を治めていた守護大名と呼ばれていた人たちがほとんど京都に集結して争い合うこととなります。

そうなると領国は守護大名がいない状態となるのですが、そんな時に領国の支配を任されたのがいわゆる守護代だったのです。

そして応仁の乱によって疲弊した守護大名を追い落とし権力を掌握したことによって戦国大名化。こうして領地を奪い取る下克上がなされたのでした。

このパターンの代表的な戦国大名を挙げるとするならば例えば越後守護代となり最終的には守護であった上杉氏から関東管領を贈られることとなる越後長尾家、尾張守護代であった織田家、戦国大名の先駆者である朝倉家、出雲守護代であった尼子家などがあります。

守護大名から戦国大名となったパターン

戦国時代といえば守護大名が守護代や家臣などによって滅ぼされることがほとんどでしたが、全国を見回してみると元々守護大名だったんだけど戦国大名となったパターンが少しだけ存在していたのです。

そもそも守護大名とはなんのことかというと鎌倉時代から存在していた守護と呼ばれる今の警察みたいなことをしていた人たちが権力を持ち始めて室町時代に入るとと幕府から領地を与えられて支配するようになりました。このことを守護大名だというのですが、守護大名から戦国大名になって得られるメリットといえばやはりもともとの領地だったこともあって支配体制も整えやすかったことにあると思います。

このパターンの代表的な戦国大名を挙げるとするならば例えば元々足利家の分家であった今川氏、豊後の大名として九州の覇権を握った大友家、鎌倉時代から700年もの間支配し幕末の頃になると最後の最後で天下を握った島津家などがありました。

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