室町時代戦国時代日本の歴史

日本を彩った戦国大名とは一体どんなものだったのか?その謎の仕組みについて徹底解説!

戦国時代の情報伝達

戦国時代の戦にになると情報戦も行われていくようになります。つまりは敵に悟られないように攻撃を仕掛けたり、あるいは寝返りをさせて敵を大混乱に陥れたりですね。もちろんこのような作戦をとるには情報をうまく伝えてなおかつ敵に伝わらないようにするのがポイント。

そこで使われ始めたのが合言葉でした。

例を挙げるとするならば例えば武田家の場合だと谷と言われたら山、上杉家だと山と言われたら麓など各自悟られないように独自の合言葉を使って情報の伝達を行なっていたのでした。

戦の後のお楽しみであった首実検について

さてさて、戦も佳境を迎えて戦が集結し始めると戦の大将は首実検ということを行い始めます。これは名前の通り首を使って実験することではなく、討ち取った首が一体誰のものなのかということをチェックすること。もしも格の高い武将を討ち取ったら褒美が与えられるため兵士からしたらとても重要なことの一つにもなっていました。

首実検の手順はまず、敵の首を見てこの人の親戚を招集してこの首は討ち取った人本人なのかということを調べます。ちなみに、この時礼儀という意味で首には化粧がされており、さらには立ち会っている人全員が甲冑を着ているんです。

そして首を調べ終わった後、その倒した敵のランクに応じて褒美を分けることとなります。その後の首は大将クラスの有名な首となると墓が作られて丁重に葬られるのですが、雑兵に対してはかなり乱雑だったようです。

戦国大名の名前や官位について

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さてさてここまでは戦国時代の戦い方やルールについて見ていきましたが、戦国時代の謎の一つに戦国大名や戦国武将の正式名称が地味に長いということが挙げられます。

例えば石田三成の場合だったら治部少輔、徳川家康だったら内府や三河守、織田信長だったら前右府と呼ばれたりしていますね。

次はそんな戦国時代の名前や官位について見ていきたいと思います。

戦国大名が欲しかった官位

戦国時代に入るとこれまで守護大名が室町幕府を通じて与えられていた官位というものが自分で手に入れるようになりました。

官位というものは官職という今で言うところの課長や部長のようなポストのことと、位階という今で言うところのどれぐらい偉いのかというランクの2つを総称した呼び方のことで、律令制の頃に日本で確立された制度のことでもあります。

官位という物は室町時代の頃にはもはや形骸化していたのですが、当時影がとても薄くお金がなかった朝廷はこの官位というところに目をつけ始めました。

戦国時代という時代というものは下克上の時代でもあるため元々守護大名だった戦国大名ならまだしも、本当に浪人や家臣から戦国大名になった人にはブランドというものがありません。

そこで朝廷はこの官位を売り出すことによって金を稼いで戦国大名の方は官位を手に入れることで手に入れた領地の正当化や一定の権威というものを掌握したのです。

例としてあげるのであれば大内義隆の場合だと九州の制圧を正当化するために大宰大弐という官位を求めたり、三河国を手に入れるために徳川家や織田家などが三河守を求めた例など、その数は数えられないほどありました。

また、官位が手に入らなくても自分で名乗ることもしばしばあったそうです。これを僭称というのですが、これは織田信長の上総介などがこれに当たりました。

戦国時代の名前の仕組み

ここまで官位について解説していきましたが、戦国時代には名前というものが非常にややこしいものでした。今では人の名前というのは名字と名前のみで完結するのですが、戦国時代では名字や名前以外でも元々の出身を表す氏(源平藤橘などがこれに当たる。氏を名乗っているとその後に必ず『の』がつく)、古来日本で歴史的に名乗られていた姓、そして自身が名乗っていた官位やあだ名(本多忠勝だったら平八郎がこれに当たる)などを経てようやく自分の本名である諱(名前のこと)となるのでした

これに合わせて例えば織田信長のことを正式名称で呼ぶとなったら平朝臣織田上総介三郎信長となるのです。めちゃくちゃ長いですね。

ちなみに、戦国時代の頃は人の名前を読んだりする時には名前を呼ぶことはタブーとなっていました。実はこの頃の日本には言霊と言って言葉には魂が宿るという形で信じられていたのです。そのため自分の本名のことである名前を呼ぶことは呼んだ人の人格や心までもを支配すると考えられました。そのため、名前で呼んでいいとされているのは親や主君のみ。時代劇などでは視聴者にわかりやすくするために本名で呼ぶことが多いのですが、本当に戦国時代に名前で呼べはふつうに打ち首になるレベルだったのです。

幼少期にも名前があります

今の時代では人間の名前は生まれてから死ぬまで家庭裁判所に名前の変更の申請をしない限り変わることはほとんどありません。

しかし、戦国時代では人の名前は幼少時には違う名前をつけていたのでした。

このことの幼名というのですが、例えば三英傑と呼ばれている3人の場合だと織田信長は吉法師、豊臣秀吉は日吉丸、徳川家康は竹千代と本当に成人になった時に付けられた名前と幼名が全然違うことがわかりますね。

ちなみに、変わり種としたら近江の戦国大名であった浅井長政の猿夜叉丸や信長の嫡男であった織田信忠の奇妙丸などもヘンテコな名前もあったのですよ。

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