平安時代日本の歴史

現代とはこんなに違う!平安時代の食事ってどんなもの?

現代日本人の主食といえば、白米やパンなど。現代は飽食の時代ということもあって望めばどんな食材だって手に入りますよね。しかし、その昔は限られた食材を限られた調理法で料理するしかありませんでした。もちろん今は普通に使われている調味料だってないわけですし、料理に応じた調理器具や食器なども限定されたものでした。そこで時代をかなり遡り、平安時代の日本人の食事ってどんなものだったのか?また現代とは何がどう違うのか?検証していきたいと思います。

平安時代って、どんな時代?

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平安時代の食事をご紹介するにあたって、まずは平安時代というものがどんな時代だったのか?そこから説明していかなければならないでしょう。当時の貴族とは?庶民とは?またどのような社会制度があったのか?理解していくことからスタートしていきます。

庶民に課せられた重い税

平安時代は律令制が崩壊した時代だといっても良いでしょう。学校でも習ったかと思いますが、「租庸調」という税制は桓武天皇の代にはほぼ廃止されました。それまでは庶民個人に租税が割り当てられていたのですが、時代が経つとともに戸籍や所有している土地の区分が曖昧になり、効率よく税を徴収できなくなったからです。

代わりにその土地に対して租税が求められるようになり、新たに年貢や公事、夫役といった税制が定められました。また土地を新たに開発した有力者層が、多くの浮浪農民へ土地や稲を貸し付け、年貢を取りまとめて納めるというシステムが確立してきたのもこの頃で、あたかも江戸時代の庄屋と小作人との関係性に似ている部分があるのです。

しかし、下層階級の庶民たちにとって税制が変わったとしても相変わらず生活は貧しく、平安時代には蝦夷の征討や相次ぐ天災などによって臨時に課せられた税の負担も大きく、厳しく搾取される立場は変わることはありませんでした。また、農業技術の向上によって劇的に生産が上向いてくるのは鎌倉時代に入ってからなので、現代から見てもマトモな食事にありつけなかったであろうことは言うまでもありません。

我が世の春を謳歌する貴族たち

この時代の主役といえば、やはり貴族たちの存在が不可欠でしょう。政治、文化、風俗など全ての分野にわたって活躍し、摂政や関白を多く輩出した藤原家を筆頭に我が世の春を謳歌していたといえるでしょう。下級貴族にしたところで受領(地方官)となって地方へ下り、人民から収奪することに勤しみ、地方領主となることも珍しくありませんでした。

紀伊守にて親しく仕う奉る人の、中川の辺なる家なむ。この頃水堰き入れて、涼しき陰に侍る。と聞こゆ。

水の心ばへなど、さる方におかしくしなしたり、田舎家だつ紫垣して、前栽など心とどめてうゑたり。

引用元 「源氏物語 賢木の巻」(岩波文庫刊)より

地方官である「紀伊守」の屋敷の様子を描写したものですが、寝殿造に美しい庭をしつらえた優雅な生活が思い浮かんでくるようです。また、平安時代後期には貴族や有力寺社などが荘園を経営し、そこからの莫大な収入を得て、一般庶民たちの苦しみをよそに、ますます繁栄していきました。

京都に住まう上級貴族や、庶民からの収奪しか頭にない受領たちにとっては、我が身の立身出世や蓄財のみにしか関心がなく、やがてそれは脇の甘さとなり武士たちの台頭を許すことになるのです。

荘園とは

律令時代に発布された墾田永年私財法に端を発しています。荒れ果てた土地などを開墾し田畑に変えれば、その土地はずっと開墾者のものになるというもの。一定の租税さえ国に納めれば収入は自分のものとなるため、こぞって土地開発が進んだのでした。

開墾者の中には、人を多く雇って広大な土地を開墾し、莫大な収入を得るような有力者も現れ、そういった土地のことを荘園と呼ぶのです。あまりに儲かるため貴族や有力寺社だけでなく皇室も多くの荘園を保有していました。

広がる荘園と武士の台頭

日本全国に荘園が広まるにつれ、国司(現在でいう県知事のようなもの)や受領からの横暴が目立つようになりました。彼らのような地方官は、私腹を肥やすためにどんな手段でも用いることが多く、強引に土地を強奪することも珍しくはなかったのです。

そこで荘園の持ち主は考えつきます。「有力貴族に荘園を寄進すること」を。当時、藤原氏などの有力貴族や寺社には【不輸不入権】というものが認められており、「租税も納めないし土地調査のために役人を立ち入らせない」という特権をもって財を成していたのでした。貴族が自ら政治を行っていたわけですから、自分に都合の良い法律を作るなんて朝飯前。荘園主たちはこぞって有力者に寄進を行い、収入の一部を献上するものの、自分たちは荘園管理者におさまって実利を得ることができるわけですから、これほどうまい話はない。こうしてますます藤原氏などの有力貴族たちの力は強まっていったのです。

しかし有力貴族にコネがなく、国司や受領たちの横暴に晒された荘園主たちはどうしたのでしょう。横暴に対抗するためには自らが武装して守るしかありません。実はこの武装した荘園主層こそが武士の起源だったのです。もちろん受領などの地方官がそのまま土着して武士となったケースも見受けられます。彼らは武力を駆使して他の荘園を支配下に組み入れ、武士団を形成。そうして大きくなった武士団が桓武平氏清和源氏となりました。

彼ら武士団はやがて都へ上り、皇室の警護や貴族たちの私兵としての役割が与えられるようになりました。貴族たちにはない武力というものを背景として、やがては日本を動かす主役となっていくのです。

庶民たちの食事ってどんなもの?

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いくぶん話が脱線しましたが、平安時代の時代背景を理解して頂いたうえで、実際の食事がどのようなものだったのか?まずは一般庶民の食事からご紹介していきましょう。

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明石則実