平安時代の調理法とは?
「欲を禁ずる」という仏教思想の影響からか、この時代の文献には【食欲】を連想させる食事風景や調理法などの記載はあまり出てきません。たしかに京の都は全国からの食材が集まる場所だったわけですが、その調理法は至ってシンプル。包丁などの調理器具ももちろん存在していましたが適当に切るだけで、調理もひたすら【煮る】【蒸す】【漬ける】だけという簡単なもの。
平安時代には麺類は存在していませんでしたが、現在のうどんや素麺などの原型だと思われるものがありました。唐から伝わった【索餅(さくべい)】というものがそれで、紐状や棒状などではなく、小麦粉を水で練ってからねじったもの。どちらかというと団子のようなお菓子っぽい食べ物だったそうです。
もちろん貴族たちの間では白米も食べられていましたが、どうやら2種類の調理法があったようですね。一つは【強飯(こわいい)】。白米を蒸して作った固めのご飯。いわゆる【おこわ】だといっても良いでしょう。そしてもう一つは【姫飯(ひめいい)】。鍋で白米を煮て柔らかくしたもの。これが現在の「白いごはん」の原型となりますが、おかゆのようにして食べることも多かったよう。
ちなみに藤原摂関家では、当時は非常に高価な砂糖をふんだんに使うことができたので、ご飯に砂糖を振りかけて食すこともあったそう。
ゴージャスそのものな平安貴族の饗応膳
平安貴族たちは、常日頃から客人たちを迎えて酒宴や饗応などを頻繁に行っていたことが知られています。平素の食事ではさほど豪華な食事はしないものの、いざ饗応の場ともなれば、さまざまな食材が膳に並べられ見目麗しく盛り付けられていたのでしょう。
四条流という料理人の一派が生まれたのも平安時代で、客人たちの目の前で魚や肉などを見事な包丁さばきで魅せるという趣向も流行していたようです。また、料理の盛り付けも【高盛り】という盛り付け方が一般的でした。特に強飯(こわいい)や副菜などをタテに盛り付け、より立体的にゴージャスに見えるように視覚的効果を駆使していました。
てんこ盛りに盛り付けるということは、より多くのご飯や食材を客人に提供するということ。たくさん食事を召し上がって頂くことこそが、最大級のもてなしだったのでしょうね。
平安貴族たちの豪華なデザート
最後に、平安貴族たちが食べていたであろう食後のデザートをご紹介したいと思います。当時からお菓子やデザートの風習は存在していたようで、やはりいつの時代にも甘いものが欲しくなるのでしょうね。
平安時代中期に編纂された延喜式という格式(決まりや細則を定めたもの)によれば、【木菓子】と呼ばれるものには「やぶなし、こうじ、なつめ、なし」などをはじめ20種類もの果実類があり、季節に応じて出されていたとのこと。
また唐菓子としては、もち米の粉を練って焼いた煎餅のような【ひちら】、肉桂皮の粉末をつけた餅【てんせい】、米粉を油で揚げて干した【けいしん】、すくも虫という食用虫に米粉をまぶして油で揚げた【かっこ】などが確認されています。
さらに食膳には【蘇】というデザートも置かれていました。これは乳製品の一種でチーズのようなもの。全国に酪農が広まったおかげで、貴族にとっては牛乳や乳製品などは意外にポピュラーなものでした。当時の天皇なども皇子の発育のために牛乳を飲ませていたそうです。
最後となりますが、かき氷も珍重されたデザートの一つでした。夏の盛りに氷室(ひむろ)に貯蔵しておいた氷を細かく削って甘い葛(くず)の汁をかけて食していたようです。なんとも贅沢な光景ですよね
食の歴史をたどることは、日本の歴史を紐解くこと
平安時代に限らず、歴史の中で【食】とは重要な位置を占めます。だってお腹が空けば何もできませんし、いいアイデアだって浮かんでこないですものね。ですから、日本人はこれまで飽くなき【食】への探究を続けてきたのだと感じるのです。最初は大陸の物真似だったとしても、徐々に日本独自の文化へと発展させていった軌跡は、やはり世界に誇れることなのではないでしょうか。