イタリアヨーロッパの歴史

【5分で解説】レオナルドダヴィンチの業績・生涯・代表作品をわかりやすく総まとめ!

2-2.40年にもわたって綴られた「手稿」と「ドローイング」が物語る

様々な分野で才能を開花させていったダ・ヴィンチ。しかし、彼のキャリアはあくまでも画家としてスタートしています。科学者として注目されたわけではないダ・ヴィンチが、なぜ、様々な科学分野に精通していたといわれているのか……それは、彼が書き残したノート(レオナルド・ダ・ヴィンチ手稿)や多くのデッサン画によるところが大きいです。

手稿とはいわゆるノートのようなもの。ダ・ヴィンチは常々、興味を引いたものなどを細かく書き残しており、その量は1万3千ページにも及んだと伝わっています。残念ながら3分の2ほどが消失しているそうですが、それでも膨大な量。これらが後世に伝わって、ダ・ヴィンチのマルチな才能を裏付けることになったのです。

映画「ダ・ヴィンチ・コード」でも登場した『ウィトルウィウス的人体図』も、1485年頃に書いたデッサン(ドローイング)のひとつ。人体を精密に描いたスケッチのほかにも、風景や建造物、発明品のアイディアなど、ありとあらゆるものを書き残しています。

これらは現代でも多くの研究者たちのよって研究されており、ダ・ヴィンチが最新の科学を理解していたことが伺えるのだとか。ただ、ダ・ヴィンチはこうした研究成果を公の場で発表したわけではないため、その功績が明らかになったのは彼の死後かなり経ってから……ということになります。

2-3.なんと!ヘリコプターはダ・ヴィンチが考えた?

ダ・ヴィンチが残した大量のスケッチの中には、船や戦車などの構想を記したものもたくさん残されています。中でも有名なのがハングライダーやヘリコプターといった飛行器具の概念図です。ダ・ヴィンチは鳥に興味を持ち、空を飛びたがっていたとも伝わっています。

ダ・ヴィンチが設計したヘリコプターは「空気ねじ(へリックス)」と呼ばれるもの。上部に大きならせん状の帆がついており、これを高速で回転させることで上昇するとダ・ヴィンチは考えていたようです。実際にこれを形にしても上昇はしないようですが……。このダ・ヴィンチのヘリコプターは「ヘリコプターの起源」とされています。

ほかにもダ・ヴィンチは、軍事的な機能を持つ都市計画や、河川の流路変更計画、移動要塞、蒸気を利用した兵器など、実に多種多様なデッサンを残し、多くの人に影響を与えました。中には構想だけで機能しないものもたくさんありましたが、とにかくひとつのものを形にするために何千というアイディアを生み、スケッチという手法で形にしていったのです。

2-4.ライバルはあの人!天才・ミケランジェロとの関係とは

同時期を生きた天才として常に名前が挙がるのが、イタリアの芸術家・ミケランジェロ・ブオナローティです。ルネサンスの万能人と称されることが多いミケランジェロは、ダ・ヴィンチのライバルだったといわれています。『ダビデ像』『ピエタ』などの彫刻で知られるように、もともとは彫刻家として活躍していました。絵画ではシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』でよく知られています。レオナルド・ダ・ヴィンチが『最後の晩餐』という絵を残しているため、どっちがどっちだったけ?と混同してしまう人も多いようです。

ミケランジェロはダ・ヴィンチより20歳ほど年下。同じ時期にフィレンツェにいましたが、特に強い接点があったわけではありません。しかし同じ時代を生きたトップスターとして、二人はしばしば比較されることもあったようです。

ダ・ヴィンチは、彫刻家として活躍していたミケランジェロを意識してか「すべての芸術の中で絵画が一番優れている」と主張。一方のミケランジェロも、ダ・ヴィンチの絵のことを取り上げて「あの程度ならうちの下男のほうがうまく描くでしょう」と、お互い舌戦を繰り広げていた、とも伝わっています。

3.レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作品とは?

数千枚にも及ぶ手稿やドローイングを残したダ・ヴィンチですが、絵画として完成している作品はそれほど多くなく、だいたい20点ほどだといわれています。もっといろいろ残しているのかと思いきや、意外や意外。数こそ少ないですが、そのどれもが、絵画芸術を代表する名画として語り継がれています。美術の教科書に載ることも多いレオナルド・ダ・ヴィンチの作品の数々、その中から代表的なもの3作について解説いたしましょう。

3-1.世界で最も有名な絵画と称される『モナ・リザ』

涼しげな微笑を浮かべてこちらを見る女性の像、といえば、誰でもこの絵を思い浮かべるのではないでしょうか。『モナ・リザ』はレオナルド・ダ・ヴィンチが1503年~1519年頃に描いたとされる油彩画です。

縦77cm、横53cm。板の上に油彩絵具で描かれた一枚。数年かけてもなかなか完成には至らず、フランソワ1世に招かれてクルー館に移り住むことになった際も、この絵を持参して新居でコツコツ書き続けたと伝わっています。

彼の死後、フランソワ1世がこの絵を買い取り、ルイ14世へと受け継がれ、ナポレオン皇帝はこの絵を寝室に飾らせたとか。謎めいた美女の笑みは、多くの権力者たちを魅了し続け、フランスの至宝として現代に伝わることとなりました。現在では、パリのルーヴル美術館に常設展示されています。

3-2.世界一有名な人体図『ウィトルウィウス的人体図』

ウィトルウィウスとは、紀元前70年頃に活躍した、古代ローマ時代の建築家です。この人が書いた著書『建築について(建築論)』という書物の中に、人体の中心は宇宙の中心であり、神殿建築は人体と同様に調和したものであるべき、という記述があります。人間の体とは神から与えられたものであり、宇宙と同様に調和がとれているものだ、というのです。例えば、両手を横に伸ばしたときの長さと身長は同じ、といった具合。でも、この書物には、こうした人体調和の例を現した図説はありませんでした。

それから1400年以上もの時を経てルネサンス期。古代建築が見直されるようになり、この『建築論』に再度スポットが当たります。ダ・ヴィンチもこの記述に魅せられ、人体調和のスケッチにチャレンジ。出来上がったのが『ウィトルウィウス的人体図』です。縦34.4cm、横25.5cmの紙にペンとインクで書かれたスケッチ。現在はヴェネツィアのアカデミア美術館に所蔵されていますが、常設展示ではないようです。

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