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カエサルの後継者に指名された「オクタウィアヌス」を元予備校講師がわかりやすく解説

紀元前44年、ポンペイウスを破り終身独裁官として絶大な権力を握っていたカエサルが暗殺されました。カエサル死後、遺言書でカエサルの後継者として指名されたのは18歳の無名な若者だったオクタウィウヌスです。オクタウィアヌスはライバルのアントニウスとの争いに勝利し、ローマの最高権力者となりました。今回は、内乱の1世紀を制し、元首政を打ち立てたオクタウィアヌスについて、元予備校講師がわかりやすく解説します。

オクタウィアヌスの登場

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民衆派のリーダーだったカエサルは、元老院派のポンペイウスとの戦いに勝利し終身独裁官となりました。しかし、紀元前44年、カエサルに反感を持つ元老院派によってカエサルは暗殺されてしまいます。カエサルが後継者として指名したのは18歳の無名な若者だったオクタウィアヌスでした。この決定に不満を持ったのがカエサル配下で随一の猛将だったアントニウスです。

カエサルの死

ポンペイウスとの戦いに勝利したカエサルは、圧倒的な力を背景に終身独裁官に就任します。独裁官とは、古代ローマの官職の一つで、非常事態にのみ任命されるものでした。本来の任期は半年ですが、カエサルは最初10年、紀元前44年には終身の独裁官となってローマの全権を掌握します。

元老院中内の共和主義者はカエサルが王になりたがっているから権力を握り続けるのだと考えました。紀元前44年3月15日、カエサルの終身独裁官就任に反対するブルートゥスらが元老院議場に入ったカエサルを暗殺します。

スエトニウスの『ローマ皇帝伝』では、暗殺者たちに剣を突き立てられたカエサルは、暗殺者の中にいたブルートゥスに対し、「ブルートゥス、お前もか」といったと記録していますね。

ブルートゥスはカエサル最愛の愛人セルウィーリアの子だったからです。カエサルの子かどうかは定かではありませんが、見知った顔に衝撃を受けたのかもしれません。

カエサルの後継者となったオクタウィアヌス

オクタウィアヌスの祖母であるユリアはカエサルの妹にあたります。父親はオクタウィヌスという騎士階級の人物。生涯多くの女性と浮名を流したカエサルですが、後継者となる男子に恵まれませんでした。

紀元前46年、カエサルとポンペイウスの内戦が終盤に差し掛かった時、オクタウィアヌスは志願して従軍します。この時、オクタウィアヌスは的中に孤立してしまいましたが、兵士たちを指揮して敵中突破を果たして生還しました。冷静な判断力を評価したカエサルは、オクタウィアヌスを養子とします

オクタウィアヌスは病気がちで、腹巻や薬を手放せない人でした。戦争の才も養父であるカエサルに遠く及びません。そこで、カエサルは軍人としての素質があったアグリッパを少年のころからオクタウィアヌスの補佐役とします。

カエサルの後継者となったオクタウィアヌスは、ガイウス=ユリウス=カエサル=オクタウィアヌスとなり、名門ユリウス家を相続しました。

オクタウィアヌスのライバル、猛将アントニウス

アントニウスはカエサル配下の猛将として知られた人物でした。アントヌウスはカエサルが出世するきっかけとなったガリア遠征で活躍した将軍です。カエサルがガリア人の族長ウェルキンゲトリクスと戦ったアレシアの戦いでも勇敢な戦いぶりを示しました。

カエサルの信任も厚く、カエサルが執政官となった時には同僚の執政官として選出させていますね。カエサルの死後、後継者として指名されるのは自分だとアントニウスが思っていたとしても何も不思議はありませんでした。

しかし、実際に後継者とされたのはまだ18歳のオクタウィアヌス。歴戦の猛将アントニウスとしては受け入れがたいものだったでしょう。

カエサルの死を聞いてローマにもどってきたオクタウィアヌスがアントニウスに面会を求めた時、アントニウスはまともに取り合いませんでした。

第2回三頭政治

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カエサル暗殺の知らせを聞いたオクタウィアヌスは直ちにローマに帰還。カエサル配下の兵たちをとりまとめ、自分の軍団を編成しました。オクタウィアヌスは暗殺者たちと戦うため、対立していたアントニウスと和解し第2回三頭政治を始めます。オクタウィアヌスはエジプト女王クレオパトラと手を組んだアントニウスと対立。レピドゥスの失脚により、第二回三頭政治は終わりを迎えました。

カエサルを暗殺した元老院派の粛清

カエサル暗殺直後、オクタウィアヌスとアントニウスは対立関係にありました。そのため、両者の軍団が小競り合いをします。しかし、オクタウィアヌスもアントニウスの双方とも、カエサルを暗殺した元老院派と戦うべきだと言う点では同じ考えでした。

紀元前43年、オクタウィアヌスとアントニウスはローマにいた元老院派の徹底的な粛清を行います。粛清リストの中には高名な文人であるキケロもいました。アントニウスは、自分のことを「剣闘士並」と愚弄したキケロを許さず、殺してしまいます。

さらに、オクタウィアヌスとアントニウスはカエサル殺害の実行犯だったブルートゥスカッシウスを攻撃するためマケドニアに出撃。フィリッピの会戦でブルートゥスらを撃破し、自殺に追い込みます。これにより、元老院派はほぼ壊滅しました。

第2回三頭政治の始まり

元老院派の粛清やフィリッピの会戦に先立つ紀元前43年、オクタウィアヌスとアントニウス、カエサル配下の将軍の一人だったレピドゥスの3人がボローニャで会談。第二回三頭政治の結成を決めていました。

アントニウスにはオクタウィアヌスの姉であるオクタウィアが嫁ぎます。アントニウスはローマ領で最も裕福だった東方を支配。レピドゥスは北アフリカ、オクタウィアヌスがイタリアの復興をそれぞれ担当しました。

東方に赴いたアントニウスはカエサルの愛人でエジプト女王であるクレオパトラと出会い、彼女の魅力のとりことなります。オクタウィアヌスはカエサル死後も抵抗を続ける旧ポンペイウス派を平定しました。

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