イタリアヨーロッパの歴史古代ローマ

カエサルの後継者に指名された「オクタウィアヌス」を元予備校講師がわかりやすく解説

第2回三頭政治の崩壊とアントニウスのパルティア遠征失敗

紀元前36年、第二回三頭政治の一角を占めていたレピドゥスがオクタウィアヌスによって失脚させられます。これにより、ローマ共和国の東をアントニウス、西をオクタウィアヌスが統治するようになり、第二回三頭政治は崩壊しました。

そのころ、アントニウスはローマの東方にある大国パルティアへの遠征を企図します。パルティアは第一回三頭政治の一角だったクラッススが戦って敗死した因縁の相手。パルティアに勝利できれば、ローマ市民に自分こそがカエサルの後継者だとアピールできると考えたのでしょう。

しかし、騎馬民族の国であるパルティアは強大で、アントニウスのパルティア遠征は失敗に終わりました。失意のアントニウスはエジプト女王クレオパトラのもとに身を寄せます。

アントニウスとの決戦

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パルティア遠征の失敗後、アントニウスはますますクレオパトラに傾倒していきました。ローマ市民たちはエジプト女王に骨抜きにされた男としてアントニウスを非難します。オクタウィアヌスはローマの世論を味方につけ、アントニウスとの決戦に臨みました。決戦の地はギリシア西岸のアクティウム。アクティウムの海戦に勝利したオクタウィアヌスは、元首政を成立させ、元老院からアウグストゥスの称号を贈られます。

エジプト女王クレオパトラとアントニウス

パルティア遠征中、ローマの友好国だったアルメニアはローマを裏切り、パルティアと手を結びました。アントニウスは攻撃の矛先をアルメニアに向けます。戦いはアントニウスの勝利に終わり、アントニウスはアルメニア王を捕虜としました

戦いに勝利した時、ローマの将軍には首都ローマでの凱旋式挙行の権利が与えられます。ところが、アントニウスはローマではなく、エジプトの首都アレクサンドリアで凱旋式を上げました。これは、クレオパトラの進言と援助によるものです。

さらに、アントニウスは自らが支配するローマ共和国の東部領土の一部を、クレオパトラや彼女の子どもに与えてしまいました。ローマ市民たちはアントニウスの振る舞いに激怒しました。この状況を見て、オクタウィアヌスはアントニウスとの決戦を決意します。

アクティウムの海戦

紀元前31年、オクタウィアヌスは250隻の船団を従え、アントニウスの待つギリシアへと向かいました。アントニウスはエジプト海軍を含む500隻の船団で迎え撃ちます。

アントニウス艦隊は数の上でも、船の大きさの面でも有利でした。これに対し、オクタウィアヌスの海軍を率いたアグリッパは、小型の船でアントニウス側の大型艦に接近し火を放つ戦法をとって機動力でアントニウス艦隊を翻弄します。

戦いの途中、エジプト艦隊を率いるクレオパトラが勝手に戦線を離脱してしまいました。アントニウスは戦場で戦っている部下を置き去りにして、クレオパトラの後を追ってしまいます。残されたアントニウス配下の将兵たちは戦意を喪失。次々とオクタウィアヌス軍に投降しました。

アクティウムの海戦に敗北したアントニウスとクレオパトラは死を選びます。以後、ローマは東地中海の制海権を手に入れ、エジプトはローマの属州となりました。

元首政(プリンキパトゥス)の成立

紀元前27年、内戦に勝利し、エジプトをローマの属州としたオクタウィアヌスは元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号を与えられました。以後、オクタウィアヌスのことをアウグストゥスとよびます。

アウグストゥスは自ら市民の中の第一人者(プリンケプス)と称しました。アウグストゥスは、養父カエサルが「王になろうとしている」と批判され暗殺されことを忘れていなかったのです。

とはいえ、アウグストゥスは完全にローマを共和政に戻したわけではありません。軍の指揮権や重要属州の統治権はアウグストゥスが握っていたのです。

表面的には市民の第一人者を称しながら、内実はローマ全体を支配する「皇帝」となりました。実際は「皇帝(アウグストゥス)が全権を握っていたとしても、形式的には元老院や執政官、民会といった共和政の要素を残すこの仕組みのことを「元首政」といいます

元老院の顔を立てつつ、政治の実権を握った天才オクタウィアヌス

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内乱に勝利したオクタウィアヌスは絶対的な権力を手にします。紀元前27年、アウグストゥスは全権力を元老院に返上し、共和政に復帰すると宣言しました。元老院議員たちは、アウグストゥスに再び権力を握ってくれるよう懇願しました。アウグストゥスは「しぶしぶ」元老院の要請を受け入れます。王として傲然とふるまうより、謙虚を装うことで元老院の顔を立て、円滑に政治をおこなっていたことがわかりますね。

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