ヨーロッパの歴史

なぜ魔女が駆逐の対象に?西洋の黒歴史「魔女裁判」の真実とは

理不尽な罪状と拷問により、罪もない多くの女性が犠牲となった……そんなイメージのある「魔女裁判」。15世紀に本格化し18世紀まで女性を中心に多くの犠牲者を生みました。ところでなぜよくわからない魔女裁判なんて?「異なるもの」に対して異常なまでに拒否反応を示したキリスト教社会。西洋の歴史において恐怖を生み多くの死者を出した、集団ヒステリーの真実に迫っていきましょう。

「魔女を生かしておいてはならない」の根拠とは?

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絶対的権威といえば神様、神様の言葉を編んだ書物が『聖書』です。ここでは魔女狩りのはじまりとなり、連綿と続くこととなった「根拠」についてたどっていきましょう。この魔女裁判はときのローマ教皇が太鼓判を押した立派な「制度」。なぜ魔女を生かしておいてはならないのか?それは、神様がそう言ったから。神の言うことは絶対なのです。

旧約聖書、出エジプト記に実際にある一文

「魔女を生かしておいてはならない。」――この一文は旧約聖書、『出エジプト記』に記された言葉です。古代から妖術使いは世界中にいました。常に問題となったのは黒魔術。病を癒し人を助ける白魔術とは違い、黒魔術は悪魔や悪霊と契約し、人を傷つけ害するものとされました。時に人を殺すために、生きた人間を生贄にしたり子供を生きながら食べたりといったことがされたと言い伝えられています。

この『出エジプト記』の文言を根拠として、18世紀まで各地で「魔女禁止令」「妖術禁止令」などの正式な法律が作られていました。教会の教義も魔女裁判を認めています。15世紀にドミニコ会修道士ハインリヒ・クラーマーらによって書かれた論文『魔女に与える鉄槌』は、魔女裁判や魔女狩りに関するエッセンスを書いたもの。

この魔女裁判マニュアル書『魔女に与える鉄槌』をローマ教皇が認めることによって、魔女裁判は政治的なお墨付きをもらったのです。ローマ法王や教会、世俗権力や大衆を巻き込んで、大規模な迫害や処刑が行われた社会現象・魔女裁判。では、現実に生きる「魔女」とは何者だったのでしょうか?

魔女狩りの「基本」

「魔女」の正体に関してはこの記事の中盤に譲りますが、端的に言うと「社会のアウトサイダー」がかけられる残酷なスケープゴート、と考えて良いでしょう。基本的に告発されたが最後、激しい拷問の挙げ句に死刑です。火あぶりや絞首刑など、刑罰はバリエーションは国や地域によっていろいろとありますが、魔女に対しては普通の犯罪者よりも激しい拷問を課さなければならない、という共通認識がありました。

殺人鬼や強姦魔、強盗よりも、犯罪の根拠すらない「魔女」は「重罪」。魔女という告発がなされ逮捕された後には、拷問、強制的な自白や、周囲の友人、知人や家族から嘘の供述を引き出して、有罪判決へ持っていきます。拷問は、冷水のプールに体を浮き沈みさせて苦痛を与える水責めや、指を潰すなどの残虐なもの。告発され死刑になる、大半は女性でした。

15世紀~18世紀の期間の全ヨーロッパで、魔女裁判で公式の記録に残っている死刑は4万人。一時期は数十万~数百万人の死者が出た大迫害と思われていましたが、史料を細かく分析する最近の歴史学ではイメージよりずっと少ない死者であったことがわかっています。しかしこの数字に記録にない私刑(リンチ)は統計に含まれてはいません。記録に残らない私刑による処刑が、民衆の間でどれほど行われたかを想像すると……おそろしいですね。

魔女裁判の歴史と、「制度」の破綻まで

中世から近世にかけて絶頂となった魔女裁判。もちろん現代から見れば、非人道的で酷い犯罪です。魔女裁判の絶頂期は16世紀後半~17世紀のこと。魔女裁判とは別に、中世~近世西洋で行われた人道犯罪に『異端審問』がありますが、12世紀からすでに盛んだった異端審問とはまた別に、15世紀からは「魔女」という背教者が告発されるようになったのです。

たとえ「法的根拠」があったといはいえ、その法的根拠自体が神話の領域にあり、あいまいで、裁判の過程も不透明で冤罪ありき。近代憲法は「魔女裁判のような、不透明で残虐な審判のもとで刑罰を決めない」というコンセプトのもとで発達したとも言われます。

その後、地動説や進化論などの世界観の転回により「世界は神のものではない」という証明がされていった西洋世界。科学がどんどん世界を分解・分析していくようになった近代以降、徐々に魔女狩りは下火となります。神様の権威はだだ下がりとなりましたが、一方で狂信やヒステリーから成り立つ残虐行為はなくなっていきました。18世紀ごろには裁判を担当する知識階級が「魔女なんていないだろう」と考えはじめたことも重なり、魔女裁判は消滅に向かったのです。

「魔女」としての判断基準

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何の根拠もなく人を告発することはできません。「魔女」にはある一定の判断基準がありました。人を恐れさせ、脅威として認識されながら実際には実害をもたらすことはなかった、魔女なるもの。裁かれた人はどんな人?なぜこんなに魔女という存在を恐怖したのでしょうか。歴史に実在する「魔女」の恐ろしい姿も紹介しましょう。

「女」、そして性というものへの恐怖

例えばギリシャ・ローマ神話のヴィーナスやヘラ、北欧神話のフレイヤなどなど、ヨーロッパに根付いていた原始の神の大半は女神でした。これらの多くは聖母マリアや聖人、天使への信仰に変換される形となります。しかし当時は古い異教の教えは教会の思想と混じり合って生きていたのです。

異教的なもののエネルギーの象徴のような、女性。女神たちはキリスト教の台頭によって消え、女性は「アダムの肋骨」として男性よりも一段下の存在と位置づけられました。「森の中に住み、薬を作って生きる」という原始的な医者の姿。それが「悪魔と契約し、超人的な力で人を惑わす黒魔術・呪術師」というイメージに変換されていったのです。キリスト教社会は男性社会で管理社会、ということを頭に入れておく必要があるでしょう。

とにかく近代までの西洋は基本的に、性的なことに対し潔癖な社会。教会の暦によって決められた日の子作り以外は、1人でも複数でも一切の性的行為が許されません。想像することさえ罪なのです。でも人間ですもの、セクシャリティに鈍感で居続けることはできません。おさえつけ続けたその反動として、近親相姦や同性愛が行われたという説もあります。いずれにせよ魔女と性的エネルギーの関係性は切っても切れないものです。

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